総司と金平糖

  総司と金平糖

    想いの侭に転がす金平糖。

目を閉じれば蘇る。

風にはためく誠の旗と、八木邸の門に掲げられた「松平肥後守御預新選組宿」の看板。


近藤さんや土方さん、懐かしき仲間達の面影も然ることながら、威風堂々と狼藉の限りを尽くした芹沢さんや、僕が斬り伏せた殿内の姿さえも。


今は昔____なんて語りだす程には古くない、

まだ汗の匂いや張り詰めてピリつく空気さえ思い出せる程の若い過去たちは、

脳裏に浮かぶ度に、僕の胸を焼き、抉り、痛みを感じさせた。


それでも、忘れられるはずのない、

愛しき、かけがえのない日々…


皆、向こうへ逝ってしまった。

手を伸ばそうとも、指先はもう、あの人達の羽織の裾にすら届かない。


僕の命は、誠の旗の下で朽ちるはずだった。

そうしたかった。そう願っていた。

僕の生きる意味は、近藤さんの傍らで戦い抜くことだけだった。


じくり、と胸がまた痛む。

悪いこともいいことも沢山あった。



一番早く終わると思っていたはずの僕の命は、

こうしてまだ続いてる。




…とはいえ、

僕に残された時間は、それ程にはないだろう。

だからそんなに遠くないうち、僕もそっちに行くわけだけど…



「けほっ」


変若水の毒は弱まり、血に狂う心配はもうない。

けれど、僕の肺臓を蝕む病と鼬ごっこだけは繰り返しているのか、それとも東国の住んだ空気が病の進行を遅らせてくれているだけなのか、よくわからないけど、


僕の咳は滅多に出なくなっていた。


それでも偶にこうして、僕の病は意地の悪さを見せた。

僕に事実を思い出させようとするように、僕の口から飛びだしてみせることがあった。


いつか、また、

あの頃のように止まらない咳と、吐血に苦しむようになるのかなあ。


少なくとも、着々と、

僕の寿命を削っていることに間違いはない。



ああ、朝の冷たい外気が心地いいな。

…僕のお嫁さんはまだ、布団の中ですやすやと眠っているだろう。



彼女との日々の中で、

新選組の頃の思い出を語ることは少ない。

彼女が僕を案ずるから。


必要以上に、僕の痛みを自らも背負い込もうとする子だから。


だから、僕はこうして、

時折布団を抜け出して、近藤さんや土方さんや、皆と語らうんだ。


けど、


彼女が目が醒ましたとき、冷えた僕の布団に気づいて飛び出してくるのは明白だった。


…風邪を引かれたくないし、その前にこっそり戻るべきかな。


戻るんなら、

僕のために、慌てて飛び出してくる君を見たい気持ちを、押さえ込まなくちゃ。


愛おしい僕のお嫁さん。

愛おしい君との日々…




…僕の時間すべてを、君にあげる。




誰ひとりにも邪魔はさせないし、

邪魔をしないで、と願う。




あと少し、あと少しを数えるように、

一日一日を君でいっばいに埋め尽くすんだ。


君の瞳に映るすべてが、僕で埋め尽くされるくらいに。


何年経とうとも、僕の姿が瞳に焼き付いて、

君の前から消えないように。


僕の誠は今、君だけのもの。

君の誠が、僕だけであるように。










ふと、

久しく筆を取ってなかった事に気づく。

だからって、何かを綴ろうと思ったわけでもなかった。

ただ、



僕は、こうしてここにいるよ、と、

誰に伝えるでもなく、ただ何となく、

僕は、白い紙に書き殴りたくなったんだ。



あれ程に、人々の肌を焼いた空の炎が、

時折ぐずる程度に、すっかり大人しくなって、

秋の装いを見せ始めたこの頃を、


僕は、生きています。




僕は、細る肺に冷たい空気を吸い込み、

この刹那を、今を、限りある命を、生きています。


咽ぼうとも、口から朱を散らそうとも、寝床にはりつけられようとも、この命はまだ、心は、足掻いている。

戦場に、馳せる思いを向けながら…


僕の心は、剣は、今なお変わらず…!!


…誠の旗と共に。





物が道に散乱する程の強風。

此れが春を告げるものであるとするのなら、人を狂わせると云われる桜と同様、一寸狂気じみている気がするのは僕だけかなあ。


屯所の敷地を掃き掃除する男装の御小姓さんは、風が齎す悪さの所為で仕事が捗らない御様子だったし、髪は整えるだけムダに思えるくらい一瞬でばさばさと乱される。

流石に見兼ねた土方さんが、あの子に中に入れと告げて漸く彼女は庭掃除を諦めたらしい。


こんな日に髪を結わずに歩けばさぞかし、土方さんもいい笑いの種になってくれるだろうに。

油断のない居住まいで如何にも、今目の前で涼しい顔をしている。



「いやはや、今日は随分と冷えた強い風が吹くのだな。此れではちと、隊士達の身も心配になるぞ。」



ガタガタと障子戸が音を立てるのを困り顔で見遣りながら、近藤さんは呟く。

確かに今日の冷えは春というよりは冬に近いかも知れない。時折栞の如く挟まれる春の温もりの所為で、一気に冷えると躰に堪えるのは否めないかも、と思う。



「確かにな。先日の強風の折には立て看板がすっ飛んできて怪我をしたって話も聞いてるし、此れだけ冷えりゃまた寝込む隊士も増えるかも知れねえ。患い中も然ることながら病み上がりの者も多いみてぇだ。今回ばかりは、近藤さんの心配が過ぎてるとは云わねえよ。」



隣で茶を啜っていた土方さんが、続いて悩ましく思う胸中を吐露すると結んでいた幹部達の口が次々に解けていく。



「土方さん、俺ンとこなんか人手が少なくて大変なんだよ。如何にかならねえ?」



「莫迦を云うんじゃねえよ。人手が足りねえのは八番組だけじゃねえんだ。俺のとこだって動けるのは数人なんだぜ。如何にかなるんなら俺んとこだって。」



「抜け駆けしようとすんじゃねえよ!俺だって困ってんだ!巡察で不逞浪士と戦うにせよ、ふん縛るにせよ、検分を兼ねるにゃ人手が少ねえ。そんなら俺んとこだって如何にかして貰わねえと!」



「…なる訳がなかろう。人手が足りぬのは何処も同じだ。何処も足りぬというのに他に割く人材などはない。」



土方さんが口を開く前に、喧騒担当の三名の口を封じたのは一君だった。

僕と云えば、次々に口を開く人達を目で追っていただけで、ずずず、と茶を啜るに留める。

どうせ人材補充は無理だし、今ある子達で如何にかするしかないんだろうし。

ちらと土方さんを見遣ると腕を組んで、ひとつ大きな溜息を吐いたところだった。



「わかってるよ。俺も其処は頭が痛えんだ。此れ以上欠員を出しちまったら仕事になりゃしねえ。早急に山崎と雪村にも対策を考えて貰っちゃいるが、隊士募集にも動いてんだよ。」



「え。新人が入ったって指導の刻が増えるだけで直ぐに使い物にはならないじゃないですか。」



土方さんの言葉に僕は思いの侭を告げた。

だって、実戦に至るのに刻を有する子が殆どで、大抵の子は道場剣術しか経験がないし。

そうなれば、僕ら幹部が早く使えるようにより撃剣指導を増やすなりするしかない。

人手不足で疲弊してる僕らの仕事を増やすなんて、面倒臭いってのが正直なところで、正直使える子を使った方がまだ効率がいいんじゃないかなあ。…というのは尤もらしい意見だけど、本音は土方さんに文句を云いたかっただけなんだけど。



「極力使える奴を入隊させるつもりでいる。そりゃ、腕が足りねえ奴はお前らに指導を頼むしかねえが…、どうせ総司、お前は斎藤永倉に押し付けて気紛れな指導しかしねえだろうが。」



途中から舌打ちと共に返る言の葉は僕への叱責混じりで、僕は“その通りでした”とにんまりと笑みで返す。



先よりも強く風がガタガタと障子戸を鳴らした。

まるで自分事のように、千鶴ちゃんが眉を下げて思案げに其の様を見詰めているのが何となく面白くって、僕は隊士不足の話から意識を逸らし、彼女の観察に気を移した。


一君の「其の折にはお任せを」という言の葉も、風のように僕の耳を通り抜けてゆく。


暫くは風が齎す影響について、各々彼是話していたみたいだけれど、やがて朝の幹部会議は本題へと移ろい、僕らは其々支持を受け意見を述べて、解散と相成ったのだった。








…養子縁組。

近藤さんが僕を息子として迎え入れたいと云ってくれた刻、僕はどんな顔をしただろう。
どんな風に感じたんだろう。
…思い掛けない話だったし、よく思い出せない。

けど、よくよく考えれば有り得ない話ではなかったんだよね。

ただ僕は、家族っていうのが良く判らないし、知らない。
勿論、そういう関係にある人達を見てこなかったわけじゃない。けど、僕自身には、本当に薄い話っていうか。


照れたような面持ちで、僕の意を訪ねた近藤さんの顔を、僕は暫く眺めていたのかもしれない。
その意味を図り兼ねて__。


僕の兄のような存在の近藤さん。
家族なんかより余程、僕には固い絆だと信じて疑ってなかったんだ。
だから、それ以上なんか考えてもなかった。


そして、暫しの間を挟んだ後に僕は、拒絶という札を渡すよりなかった。
だってそうでしょ。僕には受け入れる手札がないんだから。

僕には良く判らない家族という括りを、近藤さんは僕と結ぼうと考えてくれた。

屹度、喜ぶべき嬉しいことなんだろうけど、でも、
その気持ちが真っ直ぐで真っ白な、疑いようもない近藤さんの気持ちだって判ってるからこそ、
僕は、肯いちゃいけないと思った。



……だって、僕の抱える病は死病。


稀に助かる人もいないわけじゃないけど、…僕は療養を拒んで此処にいる。
それが如何云うことか判らないほど、僕は莫迦じゃない。

僕を子供として迎え入れるってことは、僕に死なれちゃ困るってこと。
あの人の持つものや創り上げたものを受け継いで、次に渡していく役目があるってこと。

……その次が訪れることを保証されていない僕が、…剣として生を全うしたいと願う僕が、
やがて命運尽きるであろう僕が、



近藤さんの願いを受け入れるのは“仇”でしかないと思ってる。



だから僕の答えはいつだって、


「すみません。その話は御断りします。」


そう伝えるよりないんだ。


あなたに恩義があるからこそ、僕は貴方の想いに仇を成さなくちゃならない。
何も知らない人に責められても、僕の我侭だと思われても。


僕の苦悩を知りもしないで、
お気楽に近藤さんの周りを嗅ぎまわってつけ回して、自分の弟をその座に着かせようとする谷さんに抱く感情は、正直気持ちのいいものなんかじゃない。

目障りでしかないし鬱陶しいし邪魔だし。
その所為で余計に僕がまた責められることになるのに。


なんで、受け入れないんだって_______。


簡単に僕が受け入れられる話じゃないのに。
何も知らない癖に、何も話せないのに、放っておいてくれないかな。
何奴も此奴もあの人も此の人も、如何して近藤さんと僕を放っておいてくれないのさ!!


皆が云う正論が、僕にとっては苦悩でしかなくて、
一番の理由を話すわけにはいかないし、話さなければ誰にも伝わるわけもないし、
何より僕が応えれば護れるはずの簡単なことが、僕の所為で…出来ない。


______こんな、面倒な何もかもは全部全部全部、斬っちゃえればいいのに!!


 

日も暮れる頃合いの話。


「総司~ぃ、暇か~?」


下心ある子供宜しくご機嫌伺いの声色で、筋肉質の腕を僕の肩に回して来たのは新八さんだった。
前方に顔を向けた侭、ちらと横目で彼を見遣る。

こういう刻は大抵、碌な用事じゃないんだよね。



「全然暇じゃないです」



サクッと突き放す僕にめげることなく、“そう云わずにさ~。今何もしてなかっただろ~”と剛腕で僕をぐいと引き寄せながら、新八さんはにっと並びのいい白い歯を見せた。

平助との食事合戦には欠かせぬ、焼き魚の骨をも砕く小さな白き戦士君たちには悪いけど、僕は生憎と柳に風。



「島原なら興味ないです」



「まだ何も云ってねええええええええええっ!!」


先読みした僕の答えが図星だったのか、新八さんは咆哮した後ガクッと肩を落として悄気返り、僕の肩を解放しながらもちらちらと反応を窺っている。


「せめて云わせてくれよぉ~、つれねえなあ~。偶には遊びも悪くねえって。お前もー、羽くらい伸ばしてもいいんじゃねえの?」


如何しても行きたくて諦めがつかないんだろう。
相も変わらず判りやすい人だなあと思うけど、正直僕は嫌いじゃないんだ。
組を率いてる際や稽古をつけている最中には想像もできないくらい、こういう仕草は子供じみているとは思うけどね。

 



何時もの二人じゃなく僕に声を掛けてきたのは、あの二人が巡察やら警護やらで手が空かず、他に付き合ってくれる相手が見つからないからなのは判ってる。

 


なら猶の事、僕だけで相手をするのは悪いけど御免かな、と思った。

 


酔った此の人は一人じゃ手に負えないし、面倒だからって置いてくることで巻き添えで叱られるのは面倒臭い。
土方さんに叱られるなら兎も角、山南さんに叱られることにでもなれば、より御免蒙りたいところだし。
何より、場所が島原でなのが戴けないんだよね。
其の辺で一献って云うんなら考えてあげなくもないんだけど、女の人と遊ぶのが目的なのが判ってるだけに、ほーんと興味ないんだ。


さっさと逃げたいんだけど、今回の新八さんときたら諦めが悪いらしい。
如何逃げようかと考えていたところへ、丁度いい機会が訪れた。



「じゃあ、一君でも誘ったら?さっき撃剣指導も終わったみたいだし。」



「斎藤?あの堅物が島原に誘って肯くと思うか~?思わねえだろ?そもそも彼奴を誘ったら、羽目を外すこともできやしねえ。」



新八さんの返事に、僕は確信犯の笑顔を向けた。
彼の背後を歩いてきた其の人こそ斎藤君で、新八さんはただならぬ気配に怖気を震わせながら振り返る。



「……俺が如何した。」



肩を跳ねた新八さんに、告げた一君の声音は常より低く一寸怖い。
何かあって虫の居所が悪かったのか、はたまた島原へ繰り出そうとする新八さんを諫めるつもりなのかは知らないし、僕が知る必要もない。
僕はただ思うだけでいいんだ、御愁傷様ってね。


一君に襷を渡した僕は、


待て、待ってくれぇえええええ!!と叫ぶ声を背景に、その場を後にしたのだった。