道祖神巡り(横浜市青葉区)その2 | 道祖神と第六天を巡って

道祖神と第六天を巡って

神奈川の道祖神とその周辺の第六天を巡っています

2012年04月28日巡礼

道祖神巡り(横浜市青葉区)その1
の続きですが
途中で編集に疲れて、その2に繋げました
残り少ない青葉区の道祖神は2ヶ所
いかに引っ張るかが難題です

中恩田橋バス停から田奈にバスで移動します
歩いても、途中何も無さそうなので

田奈駅バス停

まずは、バス通りの北側
その名も石塔坂に寄り
その後
道祖神巡り(横浜市緑区西部)その2 
で、寄れなかった
緑区長津田の片町に向かいます

バス通りの県道44号(こどもの国通り)から
北の大山街道の坂を上ります
実際は石塔有りの情報で
恩田配水池付近まで坂を上ったのですが
結局見つからず、坂を戻り
信号交差点を左折し、1本下の道を下ります

左側に墓地
そこには、戦国期に糟屋氏が建立した
宝篋印塔と五輪塔が有るのですが
なんせ墓地なので撮影は憚りました
墓地を左側に折れると、石塔坂


厚木街道に出る右側に石塔
宝篋印塔と合わせて、石塔坂の名の由来です

横浜市青葉区田奈町2-6


・彫像馬頭観音供養塔
撮影当時は、何の供養塔か不明でしたが
庚申塔の特徴の日月、三猿が無く

頭部は馬頭に近い形
馬口印に近い合掌
天衣
馬頭観音の特徴が多く見られます

ここから、厚木街道へ右折
南に進みます


恩田川大橋を渡ると横浜市緑区
退屈な道をどんどん進むと
右手に丘陵部先端の山が

そこへ登る坂を上ります


右側に石仏石塔の悲惨光景が
横浜市緑区長津田1-23-1
右は

「奉造立地蔵尊念仏供養」
文字地蔵塔は知らないので
念仏供養塔なのか
これは左側の

首を刈れて、倒れた地蔵尊の二体と
どう関係しているのか?

さらに、坂の折返し地に

上の産業廃棄物に同化しそうな
石塔二基
左は

・青面金剛庚申塔
ほとんど形が分からない、惨状です
右は

・二十三夜塔
石塔自体の状態良いのですが
産廃や土に埋まりかかっています

こんな状態に成ったのは
古くからの住民の連携が消滅した為でしょう
もう、どうにも成らない感じです

次は横浜市青葉区しらとり台を目指します

厚木街道を戻り

青葉区に復帰
恩田川大橋を渡ったら、左に降りる道へ
県道44号(こどもの国通り)へ出るので
右折して、厚木街道のガード下を潜ります

左手に

神鳥前川神社
「しとどまえかわじんじゃ」
名前からして、由緒有りそうなので
立ち寄る事に

神鳥前川神社拝殿
横浜市青葉区しらとり台61ー12
思いのほか、立派な神社です
特に石塔類は無かったのですが
ここで一休み出来ました
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≪御由緒≫
文治元年(1185)3月、武蔵国桝形城主稲毛三郎重成の創建であり、白鳥前川社と称したが、何時の頃よりか白鳥を転じ神鳥と書き、之を「シトト」または「シトトリ」と呼び今日に及んでいる。明治43年12月23日、無格社神明社(祭神伊弉諾尊、伊弉冊尊)を合祀した。
  神奈川県神社庁HPより
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例によって、「
しらとり台」の地名を
「白鳥女学園」的な恥ずかしい名前と
腐すつもりだったのですが
ちゃんと、其れなりの由緒が有ったのですね
ここ寄らなければ、知らずに腐していた所です
(恥ずかしい)

この後、何の変哲もない住宅街を歩きます


環状4号線へ下る、手前上の道に


横浜市青葉区しらとり台52-8

二体の新しい地蔵尊の横に

・兜巾型文字道祖神
昭和五十七(1982)年
これも新しいですね

以下は、石塔類の新造について
特に調査や集計した訳では無いので
ザックリした印象です

・地蔵尊
何かのきっかけで、新しく造立されます
寺院の地蔵尊は特に多いです

・庚申塔
庚申講が行われなくなって以降
新たに奉納されません
明治時代から衰退
昭和、特に戦後の奉納はないでしょう
唯一、見た新しい庚申塔は
道祖神巡り(横浜市泉区岡津町~藤沢市高倉)その1
で紹介した、これ

青面金剛庚申塔のみです
忠実な再建で
銘も読取れない部分は□で忠実に

・馬頭観音
農耕や、馬が輸送の担い手の時代が終わり
もう、新規奉納は無いでしょう

・地神塔
農業で、地の力に依存する事は
時代が変わっても変わりませんので
新設されても不思議では無いのですが
近年のものは憶えていません

・道祖神
近年の建立が一番多いです
ただ殆どが世代交代、再建ですね

ネタの少ない、横浜市青葉区ですので
話を引っ張り過ぎましたが

ここから環状4号に降りて、北上し
青葉台駅まで歩きます

残る道祖神は一か所
青葉区柿の木台の2医薬神社へ向かいます
完璧な新興住宅街の中で、それも山の上
青葉台駅から藤が丘行きバスで移動します

散々、東急電鉄の悪口を行ってきましたが
このバス路線の特徴は
区間限定で、降りたい場所で降りられます
坂だらけの場所なので、画期的です
2012年04月28日巡礼時の事ですが


柿の木台第一バス停で下車
バス通りの坂を上ります
信号交差点手前、左側に


醫藥神社

醫藥神社拝殿
横浜市青葉区柿の木台28ー2

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≪御由緒≫
天正年間 (安土桃山時代) の創建と伝えられる。真言宗関東三ヶ寺の一であった医王山薬師院東光寺の医王山の医と薬師院の薬をとって、医薬神社は寺院の境内に祀られて来たのである。
  神奈川県神社庁HPより
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この裏に

覆屋に石仏石塔

左側は

左下に五輪塔の部位二基
何故か赤い頭巾
右は地蔵尊坐像と思われますが
赤い布で分かりません

中央は

・地神塔
地神塔の銘はガッシリとが、相応しいです
右側面には

「左 大山道」


「歴史的農業環境閲覧システム」
中央の赤い矢印が、醫藥神社
明治期の大山街道は「至長津田」と記された道
確かにここから左に行くと
今でも
大山街道に出ます

話は戻って、右側に

・双体神祇道祖神
赤い布と右側欠損で、年代読めず

思い出しました
道祖神HPの大先輩、土方充氏のHPに
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・元 柿の木台 39-11にあったものを昭和59年頃に移設
・医薬神社の脇を大山道が
・この付近は東急建設が開発したが,その際に住民の要望を無視して相当数の  石造物が地中に埋められたとのこと(神職) ・神職 谷本 英雄
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そうです、青葉区に石塔が少ない理由を
医薬神社の道祖神に関連して知ったのでした

この後、大山街道を市ヶ尾へ向かうと
地蔵堂下の石塔群などがあるのですが
疲れ以前に、歩く気力がうせる道なので
この日の巡礼は、これにて終了

バスで藤が丘駅に出て、帰宅となりました