用賀の想い出 | 相場残日録(元相場師天の日記)

相場残日録(元相場師天の日記)

プロの相場師「天」の引退後のブログ、残日録として記していきます。

東急田園都市線 

二子玉川駅の一つ手前 用賀駅に

世田谷ビジネススクエアーという高層のオフィスビルがあります。

久しぶりにちょっと用事があって ここに来ました。

写真

 

昔、1990年代 ここにサンマイクロシステムズというIT企業の

日本法人がありました。

サン・マイクロシステムズ - Wikipedia

今は、オラクルに買収されて

単一の企業としては存在していないですが

その、サンマイクロシステムズ日本法人に

1996年8月からだったか

4カ月間 仕事で通い詰めました。

当時私は、為替ディーラー

その年の4月に 私がいた銀行は

日本で唯一の外国為替専業銀行と合併

その合併で私は かなりつらい思いをしましたが・・・

 

なんで、為替ディーラーの私が、ITのシステム開発の会社に

4カ月間仕事で缶詰になったか?

その理由は、

新銀行としてのディーリングシステムの開発のためです

少し経緯をお話しすると

二つの銀行のディーリングルームが合併する

その際の最大のポイントは

どちらの銀行のシステムを使うか?

そこは、それぞれのメンツがかかった大変な争点

システムのどちらが優れているかは

誰の目にも明らかで 私の銀行のシステムの勝ち

たぶん2世代のシステムの差があったと思います。

しかし、為替ディーリングは向こうが本家ご本元

維持とメンツで、先方は

その古いシステムを使うことを頑強に主張

その交渉はもの凄いもう戦争でした

その戦いの様子はこちらに書きました

最高の6年間の始まり | 相場残日録(元相場師天の日記) (ameblo.jp)

少し抜粋

「お前は、鉄砲玉になれ、ディーリングルームでは

我々は抵抗しなければ、パクっと飲み込まれて終わり。

合併後の立場を確保するためにも、

お前は最前線で徹底的に抵抗しろ。骨は拾ってやる。」

と言われました。

抜粋終わり

しかし、抵抗虚しく 

先方の古いシステムを使うことで政治決着


ところが 合併後

案の定、すぐに不具合が・・・・・

すったもんだした挙句に

やっぱり 私がいた銀行のディーリングシステムを

新たに手を加え

新銀行のシステムとして使うことになりました。

まあ、呆れましたね

最初から うちのシステムを使うとして

新銀行用にリバイスしていれば

こんなことにならなかったのにと・・・・

 

それで、急遽 大至急で システム開発をすることに

私の銀行のシステムが

サンマイクロシステムだったので

同社のシステムエンジニアの方がシステム開発を

私の役割は

新銀行としてディーリングのポジションと収益管理

そのありとあらゆるケースを想定して

テストケースを作ること

そして、開発したシステムが出した結果が

私が想定したテストケースと

ポジション・収益が合致しているかを

確認する作業です。

為替ディーリングの実務と仕組みを知り尽くしている

そんな人材は 当時のディーリングルームに

わたししかいなかったですからね

まあ 損な役回りでした 

4カ月間 朝から深夜まで 用賀のビルに缶詰

もう 大変でした・・・・・

今となっては、貴重な経験ですけどね

そんな過酷な4カ月

毎週水曜日は ドーナツの日

ミスタードーナッツの出店ができて

その日は 食べ放題でした

ミスド大好きな私には 楽しい一日

いい想い出です。

 

以上