今回は私の趣味の一つの本を読むことについて書きたいと思う。



私が読むのは基本的に小説。
たまに新書に手を出してみたり。


本屋さんへブラリと行って、ちょっと気になる本に出会う。
それはなんとなく運命的であるような気がして、そこからすでに私の「本を読む」という趣味は始まっている。


私の本を選ぶ基準は「なんとなく」であって「なぜか」気になるから、それだけだ。

もちろん本棚を見ると好みの傾向はある。
圧倒的に多いのは教育的な本であったり、恋愛や友情、日常をテーマにしたもの。
(それは多分私の学んでいる分野であったり、年相応に恋愛や友情といったものを大切に思っていたりするからだと思う。)


苦手なジャンルといえば、サスペンス?
推理小説などといったものはあまり読まないような気がする。


なぜ本を読むのか?

私の場合、悩んでいたり苦しいときになにか「言葉」が欲しくなるからだと思う。


言葉は時に支えてくれる。
自覚させてくれる。
怒ってくれる。


自分の中に残る言葉を探しているのだ。

なんとも言えないあの感情の答えや、
どうしようもないときの対処法、
そんなものが本の中には「言葉」として書かれている。


そんな言葉に出会うために私は本を読んでいるのだと思う。





ここで一冊の本「星のかけら」という重松清の本の話をしたい。



私がこの本を読んだのは二年前。


私は物心がついてから身近な人を亡くしたことがなかった。

そのころの私にとって「死」は完全なフィクション。

テレビのニュースを見ても他人事。
こんなことを言うと怒られそうだけど、当時の私にとってはそれほど遠い世界の出来事だった。



それが突然、大学の仲の良い友達が病気で亡くなった。
本当に突然。嘘でしょ。と思うくらいに。

その子とは2人でしょっちゅう遊びに行って友人関係や恋愛、将来についてなんでも話した。
だらしない私をいつも叱って笑ってくれた。


私は「死」というものへの向き合い方をしらなかった。

どこへいったのか、どうなるのか。
死ぬってどういうことなのか。
彼女がいなくなっても実感は湧かなかった。

時間はすぎていくし、みんなもいつも通りに戻っていく。
一人取り残される感覚、って多分そういうことを言うのだとそのときは思った。


 
だから私は本を手に取ったのだと思う。

向き合い方を知りたくて。
どうすれば良いのか知りたくて。


「『死ぬ』っていうのは、ただ『いなくなる』っていうだけじゃないの。『生きられなくなっちゃう』ってことなの。」



あ、そうか。
私の中にストンと落ちてきた言葉。

私はこの言葉に出会えて良かった。
この本を読んで良かった。



だからきっと私はこういう言葉に出会うために本を読む。