リハビリになった自宅の階段昇降 | 転倒から始まった親の介護日記

転倒から始まった親の介護日記

父の転倒から介護が始まりました。
その数年後、母も転倒し大腿骨を骨折。
そして次々と起こる家族の病気と死。
ジェットコースター人生を歩んでます。

 

 

~HIKARIと母の介護日記~

 

父の死去により母と二人暮らしになった私

 

主人とは再婚同士

別居婚スタイルで互いに実親と同居中

 

介護はいつか自分も通る道

無知だった世界を与えてくれた両親に感謝キラキラ

 

 

 

今日は朝から晴天で気持ちの良い日です晴れ

リホーム開始から2週間が経過しました。

 

 

昨日で最後の姿だったキッチン下矢印

 

 

その後、いつに間にかどこかへ行った

キッチン跡地下矢印

同じ幅なのに、取り外した後の方が狭く感じます。

 

明後日新キッチンが入るのでまたアップしますキラキラ

 

 

 

チューリップ赤

 

 

 

リホーム生活が始まってから母は2階の部屋へワタシと非難中。

唯一、大変かなと危惧していた事は階段の昇降でした。

トイレが1階にしかなく、それも奥地(笑)

 

 

この階段の行き来、1日に5~6回はあります

 

 

トイレが間に合うよう、逆算して行動しなくてはなりません(大袈裟(笑))

が、予想に反し、手すりがあるのも幸いし、何とか自力でユックリですが昇降出来ています。

 

3年位前に一度、2階の部屋が片付いたので見せようと、上がらせてみたことがあります。

その時手すりを使っては昇降出来ず、手に階段を置き、しゃがみながら上がっていました。

 

が、今現在は手すりを使い、立ち上がった状態でユックリですが昇降出来るように・・・

なってました( ゚Д゚)ハッ

 

更に昨日なんですが、ワタシが1階で作業が終わったので片付けをしてた時、自分で勝手に(笑)2階から降りてきました😲

お母さん 「エっ?ジブンで降りれるの??

 

今までのワタシだと、”勝手に動くな~”と言っていた所でしたが。。。

今はもう忙しいのと疲れているのとで、そんな気力も無く(;´Д`)

作業も終わって危険な場所も無かったので、まあ、いいかと。

 

でも油断禁物なので、そこはまた監視の眼を光らせます!!

 

 

 

チューリップ黄

 

 

 

 

リホーム中な事もあり、散歩は出来ないですが、階段の昇降がいいリハビリになるねと旦那氏が言っていました。

お母さん 「確かに~」

 

母が大腿骨骨折して退院時に、まだ全然歩けないのに大丈夫なのかと心配しケアマネさんに相談した事を思い出しました。

 

普段の生活の中で動く方がリハビリにもなるよ。病院はリハビリがあっても1日に数十分だし、後は横になってるだけだから、生活しながらの方がいいよ、と言っていた意味が今ならよく分かります泣

 

まあ、その頃は父の施設問題も山積みな状況でした。家に帰って母も看なければならない事を考えたら、ギブアップ寸前。

でもその時ケアマネさんが、みんな居るし助けもあって今まで来たのだから何とかなるし、何とかなって来たでしょ?

一人じゃないし、大丈夫だよと笑顔で言ってくださいました。

 

そして、助けてくれる人たちがいる事の有難さも、さりげなくワタシに言い、励ましてくれました。

 

大変さや状況は変わらなくても、そう言ってくれる人や助けてくれる人、知恵を授けてくれる人が周りに今までだっていたのに、精神的にマックス疲れていると、ダンダンそのような事も見えなくなって、不安だけが独り歩きし・・・。

でもそんな負のループから格言でもなく、出来る事をやりながら、何かあった時は対処していける仲間がいるよと、言っていただけること自体、ワタシはとても恵まれていたんですよね。

 

遅まきながら、母の階段昇降出来た事件(笑)で当時を振り返ることが出来ました。