奈落の底から這い上がった4年後のお正月 | 転倒から始まった親の介護日記

転倒から始まった親の介護日記

父の転倒から介護が始まりました。
その数年後、母も転倒し大腿骨を骨折。
そして次々と起こる家族の病気と死。
ジェットコースター人生を歩んでます。

 

 

~HIKARIと母の介護日記~

 

父と姉がこの世を去りました。

(2019年10月・2020年4月)

 

父 肺炎

 姉 乳がん

 

 

肉親は3つのガンを今の所克服中の母、ただ一人に。。。

でもその後、ワタシは喪った家族が埋まるかのように再婚。

 

悲喜交々綴ってます。

よろしくお願いしますお母さん

 

 

 

お正月休みも終わり、平常運行な日常へとなりました。

年末に元旦に届くようにと書いた年賀状、ジブンの関係者だけでは20~30枚くらい出したのですが。。。

お母さん 「今現在、4枚だけのお届けえーん

 

見事な惨敗ぶりです笑

喪中でも年賀状仕舞いでもなく、出しても来ないのはチョッピリ寂しい限りです。

 

そんな中、母といえば連日年明けから毎日のように電話が来ています。

年賀状を止めた人が多いけれど、母は未だに手書きで出しています。40~50枚くらいかな?

年賀状を母に出さなかった方から電話をいただき、何だか忙しそうです。

おばあちゃん 「昼寝する暇なしあせる

 

やはりもらった側はとても嬉しかったようで、母も嬉しそうです。

もう止めようかな?と、ここ数年言ってはいるものの、結局は毎年書いてます( ´艸`)

でも良かったんじゃないお母さん?

 

 

 

リボン

 

 

 

 

年賀状に関係なく電話をくれる方もいて。。。

皆さん、一人暮らしや地元を離れてもうコチラには戻ってこられない方も懐かしんで、という年代なのでしょうね。

たとえ会えなくとも思い出していただいて、わざわざ電話をもらえる母はとても嬉しそうでしたおばあちゃんピンクハート

 

ここ10年が余りにも一度に大変な事が起こり過ぎて、もう生きている事さえギブアップしたかった時もきっとあったと思いますが、ミンナから元気になって良かったねと言っていただけて、心配を未だにしてもらえて。

それだけでも、生きる活力が湧いてくるものですね。

 

ここまで来たのだから、その気持ちを生きる力に変えて、もう少しだけお父さんやお姉ちゃんの所に行くことを先延ばしにしなきゃねお母さん

 

4年前は肺ガンだったお母さんと乳がんだったお姉ちゃんは、もう今年は持たないだろうと覚悟したお正月でした。

あれから4年後、お姉ちゃんはこの世にはいませんが、きっと元気になったお母さんの姿を一番喜んでいると思います。

 

奈落の底から這い上がったようなV字回復を見せたかったけど、いずれソチラへ逝くお母さんからユックリ時間をかけて聞いてあげてください付けまつげ

 

 

 

 

 

 

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