父のお願いが苦しかったあの日 | 転倒から始まった親の介護日記

転倒から始まった親の介護日記

父の転倒から介護が始まりました。
その数年後、母も転倒し大腿骨を骨折。
そして次々と起こる家族の病気と死。
ジェットコースター人生を歩んでます。

父が転倒し、要介護3になった事をきっかけに始まった介護生活。

そんな中、母が甲状腺ガン、大腸ガン、肺ガンとなってしまい父は施設へと。。。

現在と過去を振り返りながら、父と母の介護で思うココロの内を綴ります。

現在、父は要介護3から要介護4になり、母は要支援1です。

 

 

母のガンから始まった介護生活は、母の病気より父の介護のこれからを考えなければならない事に重きが。。。ガーン

それでも、叔父夫婦と姉夫婦にも助けられながら今日まで来ました。

 

全部、母に頼りきりだった父。自分は施設に預けられ、母はガンで入院・・・。

 おじいちゃん 「オレは一体、どうなるんだ??

 

自分の体が言う事聞かない事も受け入れられない父が、母がガンで自分は施設へ・・・という急激な環境の変化について行けない事は今ならわかる事も当時は(´;ω;`)ワカランカッタ~タラー

 

 

毎度毎度、施設で。。。病院で。。。

 おじいちゃん 「帰りたい!!何時になったら帰れるんだっ!?

 

 

と、もうこのフレーズしか言わない時が長く続きました。

何回、病院のフロアーで言い合いになったかわかりません炎お母さんVSおじいちゃん炎ファイト!

 

 

そんな父を受け入れられなかったワタシとワタシ達家族。

特別話が通じないわけでもなく、認知なのかワガママなのか・・・微妙にわからない時期がありました。

施設から電話をかけて来ることもあり・・・📞

 おじいちゃん 「いつまで、ここに居るのよ?

 

 

母のガンどころの話じゃなくなり・・・(;´∀`)

どうしたら父が落ち着いてくれるのか??そればかりの日々&施設からのアーダコーダもやもや

メンタル、やられますねアセアセ

これが、今年の4月末まで続き。。。

 

ワタシは。。。

自分の基準でモノを言って。

当たり前の事だから解るはずだと思い込み。。

でも自分自身が、この状態を受け入れられずにいたんだなと。。。

父の事を父自身受け入れられないでいると言いながら、自分もそうだったんだなと・・・。

 

 

今はもう前の様なワガママも、威勢の良さも、怒りの勢いも無くなっちゃった父。

あれだけ望んだ落ち着いた状態になりましたが、精神科の入院治療でそれと引き換えに大人しく無表情な感じになってしまった・・・。

会うたび、何とも言えない気持ちになりますお母さんタラー