いつぞやも早朝から江ノ電を撮影した気がするが、2024年最初の撮影をどこにしよう…と考えた時に思い浮かんだのが観光客にも大変人気の鎌倉高校前。ただし、もちろん観光客が撮るような写真を撮る気はない。とにかく早起きし、まず江ノ島駅で同駅に滞泊している編成の有無を確認してから鎌倉高校前に向かうこととした。

 

 

朝6時。江ノ島駅に到着すると、早朝深夜にしか見られないと思われる2連の電車が。この先どこかで増結を行うのであろうが、江ノ島駅には想像を裏切り夜間滞泊の編成はいないようであった。

 

6時03分に江ノ島を出る鎌倉行きの電車で鎌倉高校前へ。東の空が徐々に赤みを帯びてきている。今回は赤富士狙いでやって来たがこれはもしかしたら、陽が上がる前にも夜明け前の情景を撮れるかもしれない!当初から予定していた峰ヶ原信号場まで歩く前に、駅前で東の空を撮ってみようと思い直した。

 

 

6時09分、私の乗って来た鎌倉行きと峰ヶ原で交換した藤沢行きが鎌倉高校前の駅に接近する。10形電車の下部に据え付けられた前灯が足元のレールを明るく照らしてくれた。

 

そして次に狙うのは6時21分発の鎌倉行き。後追いであれば前灯の灯りに潰されることもないため、先の写真のように敢えて引き寄せて前灯とカメラの角度を斜めに設定しなくても撮れるだろう。ということは…ふと、それなら長時間露光で尾灯を流してみようかという思いがよぎった。

 

 

やって来たのはなんと300形を鎌倉方に付けた4連。思いもよらず300形の運用が判明したのも嬉しかったが、今はそれを撮っている場ではない。入念に設定を行い、5秒間の露光設定で車両が目の前を行き過ぎると同時にリモートでシャッターを切る…。

 

稲村ケ崎の奥から立ち上る朝陽の熱気。低い波を立てる海のしずかなどよめき。そして流れ飛ぶ薄雲。全ての背景を従え、行先表示と尾灯の灯が軌跡を残し去って行った。

 

さて、朝焼けを撮った後は峰ヶ原信号場脇に移動する。朝から曇っていたため富士山が見えるかどうか非常に不安だったのだが、背後を振り返ると…

 

 

なんと、まだ薄暗いながらばっちりと見えているではないか!!「鎌倉」の先に「あけましておめでとうございます」と書き添えられた1000形電車の行先表示も如何にも江ノ電らしくちょっと嬉しい(6時36分)。

 

 

6時50分、先程藤沢に向けて上って行った10形電車が2連のまま増結せずに戻って来た(勿論江ノ島駅に滞泊編成がいないので増結しないのは当然なのだが)。富士山の頂がうっすらと赤みを見せて来た。

 

 

頂上から少しずつ太陽に照らされほの赤く光り出す富士。10形電車と峰ヶ原ですれ違った2000形が藤沢を目指す(6時51分)。待てよ、これはもしかしたら…。

 

この2000系、何を隠そう私が朝江ノ島駅から鎌倉高校前まで乗車した編成なのだ(途中極楽寺で増結されたようであるが)。ということは、次に上って来るのは、先に光跡を撮影した編成、つまりその順光鎌倉側は300形ではないか!!

 

 

7時04分、いよいよ赤く照らされる富士を背景に、10形同様のおへそライトスタイルがどこか一つ目小僧的な妖しさを見せる20形電車が接近する。そしてその背後、峰ヶ原で待ち受けるのはもちろん…!!

 

 

新年早々、何という幸運だろうか。わずか10-15分しか続かない赤富士が見られる時間帯。そこで離合する列車は上下1対のみ。その上り列車の順光側に江ノ電のマスコット的存在でもある古参車両、300形305編成が入ってくれるとは…!!渋い緑の車両外板に鈍く照り映える朝陽に、頬を照らして浮かび上がる赤富士。思わず息を呑んだ。

 

 

赤富士に満足した後は鎌倉行きの電車で極楽寺に移動した。朝7時過ぎだというのにもう鎌倉高校前駅前の踏切にはちらほら外国人観光客が並んで写真を撮っているから驚きだ。極楽寺に着くと、駅近くで相模湾と江ノ電を見下ろす俯瞰撮影地を探して登る。列車から行くべき公道は見えているものの当初そこまでの登り口が見つからず民家の間の細い道を行ったり来たり…。迷った末に見つけた眺望は如何にも旧鎌倉という山と谷戸と海が織りなすパノラマ。

 

 

思うに江ノ電の良さも、悪さも、それはそのまま鎌倉という都市の良い所、悪い所に一致するのだろう。風光明媚な海際の景色、ゆったり流れる時間、自然の形に任せた軌道と山に囲まれるほの暗さ…そうした江ノ電の持つ魅力はそのまま鎌倉という街の魅力にも一致する。一方で列車本数の少なさ(最近12分間隔から14分間隔にさらに減らされてしまった!)、オーバーツーリズムによる慢性的な混雑、軌道の脆弱さ、何より通勤通学で利用するには非現実的な位イラつかせて来る遅さ…!こうしたところはそのまま鎌倉と言う街そのものが不便だ、車も進めぬ、道が細い、通勤が遠いと揶揄されるのとよく似ている。観光目的で乗るなら良い、地元の中の利用で乗るならそれも豊かな時間になるかもしれない、でも横浜、東京など毎日遠方まで通勤するのにフィーダー路線として使うのはちょっと…。そう、江ノ電は鎌倉という街と一心同体の鉄道なのかもしれない。

 

 

この日の最後は腰越で下車して併用軌道区間を撮ってみた。残念ながらすっかり陽は陰ってしまったが、如何にも漁師町という風情を漂わせる腰越の商店街を江ノ電の電車がゆっくり進む情景は実に楽しい。

 

 

少し待つと300形を先頭にした鎌倉行きが接近して来た。駅名は腰越だがこのすぐ北側は地図を見ると腰越と津の地名が入り乱れており、かつて横暴な領主に反旗を翻した町人が独立を勝ち取ったために町人の町腰越と土豪島村氏の土地である津が分立することになり、その名残で今でも地名が複雑に錯綜しているのだと伝わる。

 

義経の「腰越状」でも有名な腰越。かつては隣りの片瀬村との間の利権争いもあったという。そんな歴史も全て呑み込むように今日も古き日の想い出と観光客の憧れを乗せて、電車は行く。