さて、躁鬱病になって、人生がどうなるかわからなくなっている最中。
それでも何者かになりたかった人生。
私はそれをどうやって組みなおしていくのでしょうか?
私が躁鬱と言う病気を意識し始めたのは30歳になることでした。
その頃は、会社でも重要なポストを任され、次期社長になることをめざし向けて突き進んでいる時でした。
※会社人間としての人生経験は後日アップ予定。
だから、自分が何らかの精神疾患を持っていることは、その資格を失うことだと思っていました。
しかしながらそこから10年。40歳になることには、自分のアップダウンが激しさは病的であることをについてうけとめるしかないと思いました。
それでも、自分の中では病気であることは受け止めたとしても、人には言うことはできないと思っていました。
なぜなら、いよいよ時期社長としての準備を進めるために本社に戻ることが決まっていたからです。
だから、私は病院に行くことを拒否しました。
結論から言うと、社長引継ぎのために本社に戻ったのち、その重責で完全にダウンし、強制的に病院に行きました。
それは本当につらいことでした。
私は、病院に行く10カ月前から、これまでしたことのなかった音楽制作を始めました。
私は昔から音楽に興味がありました。しかしそれは興味がある程度のもので、活動と言うレベルのものではありましせんでした。
一番落ち込んだそこときに、私は「いつか曲を作りたい」と思ってたことを思い出しました。
人生がこの先どうなっていくかわかりませんでした。だから人生の中で「いつか……」と思っていたことに手を付けたのだと思います。
自分を元気づけるために歌詞を書き、音符を繋ぎました。
曲を作りながら、「いつか誰かを勇気づけられる曲を作れたらいいなぁ」と思いました。
私は、自分を勇気づける歌詞を書きながら、誰かを勇気づけたいと思いました。
この病を受け、会社を辞め、社会から離れた今。
これからできることは何なのだろう?
そのためにすることは何なのだろう?
次回の記事もう少し考えたいと思います。
書きながら、自分が何を考えどうしていきたいかを今一度考えたいと思います。