5月25日(木)勝浦の八幡岬公園に案内していただき、
いつもの4人グループで行ってきました。今日のブログでUPします。
八幡岬公園は千葉県勝浦市にあります。
勝浦湾の東側に突き出た細長い半島の八幡岬の上に広がる
自然公園です。HPによると約4700㎡の広さだそうです。
その園内の一角の高台に、お万の方の銅像があるとのことで
そこに案内してくださったのです。
晴れていると高台からの眺望が素晴らしいそうですが、当日は曇でした。
場所:千葉県勝浦市浜勝浦221(JR外房線勝浦駅から車で10分程)
ここから階段を上がって行くと・・・
右側に鳥居が見えました。神社でしょうか!後で加筆します。
遊歩道や子供の広場に、子供用アスレチックや高台がありました。
後ろの方に見えるのが高台に上がる階段です。
一面にシロツメグサが植えてあり、子供が遊ぶには良い場所ですね。
この遊歩道を歩いて・・・
階段を上がって行きます。
途中で白い花を見つけました!!名前が分りません。
後で加筆あり・・・・
頂上の広場です。お万の方の銅像があります。
そして「お万の方の布さらし」の説明もありました。
お万様(養珠夫人)は徳川御三家の紀州(頼宣)と水戸(頼房)二祖の母で、
天正5年(1577)勝浦城主、正木左近太夫頼忠の姫君として
勝浦城内で生れました。
しかし天正18年、豊臣秀吉に攻略されて北条氏が滅亡すると
勝浦城も本多忠勝や植村泰忠らの軍勢に攻められて落城しました。
14歳の姫君お万の方様は、炎上する城を後に母と幼い弟を連れて、
八幡岬東側40mの断崖に白い布を垂らして海に下り、小舟で館山方面へ
逃れたということです。
ここを「お万の方の布さらし」と呼び、後世に伝えられています。
その後、お万の方様は徳川家康に見初められ、17歳の若さで江戸城に入り
「陰山殿」と呼ばれて寵愛されました・・・・と、説明文通りです。
陰山殿はTV時代劇で知っていますが、勝浦城主の姫君だったのですね!!
お万の方様は「紀州殿」 「水戸殿」の 母ということは・・・
あの徳川光圀公は「お万の方様」の孫!ということになるようです。
勝浦ー水戸ー紀州は・・・繋がっている!ってことですよね!
かすみ草にはおもしろい収穫です。
ここの広場が勝浦城跡なのでしょうか!!
この断崖絶壁の海を見下ろしながら
お万の方がここをよく無事で下りられたものだと、当時を想像してみました。
かすみ草が写真を撮った場所が多分、断崖絶壁だったと思います。
↓少しよろけただけで海に落ちてしまいそうな、狭い場所でした。
その先の方に灯台が見え、下の方には海中公園が見えました。
晴れるともっと鮮明だったのですが、あいにく曇空でごめんなさい。
とても眺望がよく、景観も素晴らしいところと知りました。
せっかく案内してくださったのに・・・なんで、太陽が隠れたの!
↓帰りに気が付いた、忠霊塔です。まだ新しいように思えたので
裏に回って見ると「平和が続くことを願って」平成28年3月 勝浦市とありました。
長くなりますので今日は勝浦城跡・お万の方様の布さらしで閉じます。
次は、ハイキングコースです。勝浦の不思議!に遭遇しました。
今日も一日ありがとうございました。
明日も良い日になりますよう・・・では、おやすみなさい。