開花が少し遅れ気味だった今年の桜、天国の母には見れたでしょうか
ウグイスの鳴き声「ホーホケキョ」は、春が一番きれか鳴き声ばい!と言った母。
母は父と37歳で別れ、私たち4人の子供を育てるため、かなり苦労していました。
少しでも役に立ちたくて・・・
私は、2歳だった一番下の子を学校へ連れて行き、勉強したことも(;´▽`A``
父亡きあと、4人の子供たちに満足にご飯を食べさせるためには
農業を続けなければならないので、母も本当に大変でした。
もちろん、父の病院代などの借金もありましたし、現金収入もありません。
生きて行くために一時期、福祉のお世話になったことも事実です。
しかし母は「福祉のお金はしばらくお借りしているもの、返せる時が来たら
少しずつでもお返しして行くように」と、まだ子供の私に教えていました。
ただ、後で知ったことですが、この話は、私だけにしていたようです。
他の兄妹は、そんな話は聞いていない・・・と(本当に聞かなかったのかな?)。
母一人では農作業が追い付かず、母と私は、月明かりで芋畑の草取りしながら
明るいお月さまにも随分助けられましたo(〃^▽^〃)o
苦労に苦労を重ね、母も肝臓を悪くして入院したり、大変な時期は続きました。
当時13歳だった兄も卒業したら都会へ出て働き、家を建て、家庭をもったのです。
母も、兄家族に呼ばれて一緒に暮しはじめました。母はホッとしたでしょうね。
あ!イヤイヤ、都会は好かん、田舎が一番よか!、って言っていたとも(笑)
孫も生まれ、その孫が成人して結婚式の日取りが決まったあと・・・
自分の誕生日に合せたかのように、天国へ旅立ちました!!
偶然ではなく、亡き父の元に逝くため一番良い日を自分で選んだのでしょう!
母は、4月17日生れ、そして亡くなったのも4月17日なのです。
亡くなる日の演出がうますぎますよねっo(〃^▽^〃)o
80歳は、まだまだ早い年齢だったかもしれませんが
それも皆、母の運命ではなかったかと!!私はそう思っています。
16日は、兄妹の家族20名以上揃い、お寺で母の13回忌法要です。
母が寂しがらないように、賑やかに・・・・が、みんなの意見です。
2年前から脊髄の病気になり、車椅子生活をしている兄との話し合いもあります。
熊本に置いているお墓の問題、今後どうするか!!
先日、ブログ仲間のお一人が、「墓じまい」された記事を読ませて頂き
私たちにも、お墓が切実な問題になったことを実感しています。
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お詫び・・・
大変申し訳ございませんが、一日を母のために使いたいと思いますので
ペタの方を一日閉じさせていただきます、どうぞよろしくお願いいたします。
では、皆さまには素敵な休日をお過ごしください。