今日はお彼岸、仏壇があるお家の方は「ぼたもち」作ってお供えし

お墓にお参りに行かれた方も多かったと思います。

 

かすみ草は、ご先祖様のお墓参りをするには少し遠いですから

例年通りに高台に行き、西の方角に向かって手を合せました。

 

どうしても行けない場合、これでもお参りしたことになるそうですから。

そしてこれも毎年ですけれど、グーグルでふる里のお墓まで行ってまいりました。

 

亡き両親も、「来れる時でよかけん、無理せんちゃよかよ」・・・って

きっとわかってくれるでしょうo(〃^▽^〃)o 

特に母には13回忌で、みんな揃ってお寺であえますから。

 

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さて今日は、タイトルのように3月13日に勝浦、御宿と回った際、「国吉神社」へも

案内してくださったので、今日のUPは国吉神社&上総出雲大社にしました。

 

国吉神社・・・・千葉県いすみ市刈谷630

ご祭神  健御名方命(たけみなかたのみこと)他二十七社。

 

↑国吉神社神社社頭

 

 

■国吉神社御由緒■

千葉県中央部がまだ上総国となる1500年の昔までこの地域はいくつもの小国に

分れており、長生・夷隅地域を甚国造(いじみのくにのみやつこ)が治めていました。

 

第27代安閑天皇の御代、国造は春日皇后に屯倉(みやけ)(御料地)を献上し、

現在の神社の鎮まるいすみ市の苅谷の地に勅使を迎える為の仮屋が設けられ

 

後にこの仮屋跡に伊甚国造の祖である天穂日命(あめのほひのみこと)

(出雲国造の祖でもある)と建比良鳥命が仕えた大国主命の御子上である

健御名方名がまつられたのが始まりです。

 

後に各地の神々が合祀され国吉神社と称されるようになり、

厄除け・八方除け・交通安全・家内安全の神社として信仰されています(説明書より)。

 

 

本殿の後ろには、いすみ市指定文化財「御神木大銀杏」があります。

 

↑本当に大きな銀杏の木です!!葉が色づいたらきれいでしょうね。

 

↑根元です。

 

 

国吉神社の隣には健御名命の親神にあたる大国主命をまつる出雲大社が鎮座。

 

■上総出雲大社御由緒■

幕末の作田村に斧嶽(ふがく)と号する人並みすぐれた怪力と才知の持ち主がおり、

その怪力ぶりは米俵二俵を背負い、両手に一俵づつさげて持ち、口に一俵を加えて

 

持ち歩いたと伝えられる。長州征伐の際、幕府軍の目付け役となった村の領主は、

強力無双の斧嶽を侍従に選び島根県に到着したが戦いは既に終り

 

折しも出雲大社の奉納相撲が催されており、斧嶽はその相撲に加わり

無敵の強さを示した。

あまりの強さに神業としか思えないと千家宮司より神璽(みしるし)を授かり

 

故郷へ帰った斧嶽は仮殿を設け篤く信仰し、信者は日増しに増え、

現在地に神殿が造営され明治25年に遷宮式がおこなわれました。

縁結びの神、福徳、海運の神様として進行されています(説明書より)。

 

少し堅苦しいページになってしまいましたが、案内して頂いた記録にしました。

 

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名前が気の毒な!ボケの花・・・今日のおまけです。

ウォーキング途中、目にとまりました。

 

 

 

三連休でお墓参りに帰省されたかた、本当にお疲れさまでした。

明日からお仕事ですから、今日は早目にお休みください。

 

また、関東は明日荒れ模様のようです。どうぞ気をつけてくださいね。

相棒君も明日、脳外科の検診日。電車が止まらなければ大丈夫かと。

 

今日もかすみ草の拙いブログを読んでいただき、ありがとうございます。

明日も良い日になりますよう・・・では、おやすみなさい。

 

 

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