昨日5月14日、毎日新聞の「万柳」欄で矢印のような川柳を発見した。

 

 

全面的に同感である。

だがしかし、この事実に気付くのは中々容易ではない。

一般論としては真実だと思っても「自分のやっている宗教は特別だ」と思い込んでしまうのが人間の常である。

 

 

私が学生時代SOKAに入った時、父は「金集めや」と断言した。

父は、学歴はないものの、努力家で聡明な人であった。

私は進学のため家を出たので詳しくは知らないが、父は〇〇の支店長になり、最後はそこに隣接するビジネスサービスセンターの代表取締役になった。

 

母は愚かなタイプ。病気がちで、統一教会にハマった。

父は定年間際に病気で倒れた。その時になって父も統一教会に入って多額の献金をしたり、浄水器や家庭用サウナボックスを買っていたことが分かった。

 

母が以前、統一教会から石の塔のようなものを買った時には「俺の金で買った」と怒っていたのに、あの聡明だった父までハマるとは信じられなかった。父の癖のある字体で統一教会の教義がびっしり書かれたノートを見せられた時は唖然とした。

他にも統一教会のオルグの手口やら、SOKAに似た小単位の会合やら、思い出すことは多いが割愛。

 

一方、私はと言えば、愚かにも「SOKAは統一教会とは違う」とばかりに、両親よりも多額の財務をしようと奮闘していたのだ。

 

 

今日は曇っていて、隣の人が布団を干してバンバン叩かないので、図書館に避難せず自宅でのんびりブログを書いている。

「もし財務をしていなければ、民度の高い静かな環境に引っ越せるのに」と思わないでもないが、全部、自分の責任である。

ここは「おバカの代償」と潔く受け止めようではないか。

 

 

 

別の貧乏ブログにこんな記事を書きました。

文中「市民相談の弁護士に相談した」とあるのは、公明党の市民相談です。

 

 

 

唯一の救いは、実家の土地を統一教会に取られなかったこと。

立ち退き料を母の入院費と葬儀費用、身体を壊した弟の生活費と介護費用に充てることが出来たのは不幸中の幸いだった。