デオ200形
・遠い未来の鴨東線乗り入れを望んで作られるも、その夢はかなわず…。
デオ200形は1951年(一部では1953年とも言われています)に4両が製造された車両です。
というのは戦時中に福井支社に転属したデナ11型の穴埋めのためです。
当時は16両で頑張っていましたが、戦後のローカル線黄金期時代に16両だけというのはさすがに無理があったのでしょう。
遠い未来に実現することとなる鴨東線乗り入れを視野に入れて作られましたが、鴨東線の建設が遅れに遅れたため、結局鴨東線を走ることはなく、1987・88年にデオ720形にあとを託し、廃車になりました。
デオ300形
・叡電初の高性能車両、その生まれた場所は…あの日立製作所!! 当時の叡電の希望が詰まっていた高性能車輌
デオ300形は1959年にこれまた鴨東線乗り入れを視野に入れて作られた電車で叡電初の高性能車だったといわれています。
しかし、様々な理由から晩年は扱いにくい車両とされ、残念ながら1988年にデオ730形に置き換えられて廃車になりました。
こちらの記事も参考にしてください。
迷列車で行こう~とにかく使い勝手の悪すぎたダメダメな高性能車~
デナ500形
・生まれは大阪、往年の阪神急行は京都洛北の地で余生を過ごした
デナ500形は1964年の鞍馬線列車衝突事故によって廃車になったデナ121・123号と、淘汰されることになったデナ1型の置き換えとして1964年に阪神電車から譲り受けました。
叡山線仕様に改造されたのち、運行を開始しましたが、ブレーキの関係上、鞍馬線は平たんな二軒茶屋までしか入れず鞍馬まで営業運転では入らなかったようです。
のちにデオ600形に改造され、1983年に消滅しました。
デオ600形
・最後の緑の電車として走り続けたのち、2008年に最後の緑の電車としての生涯を終えた
デオ600形は1979年にデナ500形を高性能化して登場した電車で6両が登場しました。
しかしデナ500は10両あったので、残り4両はというと余剰だからという理由で廃車になったそうです。
ブレーキの関係上、鞍馬までデナ500時代は入れませんでしたが、ブレーキの改良も行われたので、鞍馬まで入れる車両が増えたといえます。
1997・98年にきららが導入されて、601・602・605・606が廃車になりましたが、残った603・604はその後も予備車として残り続け、活躍していましたが2004年の全列車対象のワンマン化後はワンマン機器が取り付けられることもなく、イベント列車用として残されていましたが、2008年11月1日のラストランをもって運行を終了しました。
これにより叡電伝統の緑の電車は営業車としては消滅し、事業用車両のデト1001のみとなりました。
かつて同じ会社で同じ塗装をまとっていた嵐電のほうも塗装変更でいずれこの色はなくなります。
しかし嵐電は当初の塗り替え計画よりも時間がかかっており、本当の予定なら今はすべて新塗装になっていたはずなのですが、現在でも緑の電車は残っているので、見に行ってみてはいかがでしょうか?