木蓮の涙
もう20年ほど前のある日、
後輩から相談を受けた。
「自由な服装、髪型で仕事をしたいんですけど、どうしたらいいと思いますか?」
カチッとした格好を求められるような職種ではないが、
シャツは襟付き。
ジーンズ不可、
などの暗黙の了解はあった。
-仕事相手全員、社員全員が認めるくらい仕事を頑張ればOKかな?
そう伝えて
-まあ、難しいけど…
と言いかけたところで
「分かりました!頑張ります!」
食い気味に言ってきた。
数カ月後、現場で再開。
彼はワイシャツにスラックスという格好だった。
「全員に認められるのは大変ですね」
そう話しつつ、足を動かして懸命に働いていた。
◆◇◆
出会いは1999年。
転勤して関西での内勤になったころ。
同じ職場に胸のボタンを大きく開けたスタイルで、
「チンピラ」と呼ばれている後輩がいた。
年齢は1個下。
他業種から転職して入社してきたという。
妙にウマが合った。
同じ班で仕事が回っていたこともあり、
しょっちゅう飲みに行った。
飲みに行ったのだが、彼は酒が飲めない。
こちらは酒、彼はコーラ。
メシを食ってカラオケに行く。
そんな休み前を常に過ごしていた。
その歌が、相当うまい。
カラオケには色んな歌自慢と何度も行っているが、
彼より上手なやつに会ったことがない。
広めのカラオケバーの奥まった席で彼がミスチルを歌ったとき、
「本物?」と言いながら店の全員が見に来たくらいだ。
ちなみにこちらは
「人前で歌ってはいけない」
と母から言われていたくらいの音痴である。
社内では後輩。
カラオケスナックでは師匠。
今では人前で歌えるくらいにしてもらった。
◆◇◆
数年で2人とも外勤に異動した。
彼は関西。
自分は関東。
それからは、互いの出張で会うたびに飲んで歌った。
冒頭の相談を受けたのは、それから5年経ってからだった。
しばらくして、
ブカブカのスウェット姿に金髪の
〝ヤンキースタイル〟で働く彼の姿があった。
それでいて、現場でも社内でも一目置かれる存在。
誰も実践できないことをやりとげた成果。
頑張ったものだけが許される、個性的なスタイルを作り上げていた。
若い社員に、彼のようになりたい。
と聞かれることは何度もあった。
「あの個性が許されるまで、相当な努力が必要なんだよ」
それだけ伝えた。
唯一無二。
後継者は現れない。
◆◇◆
会社と業界に大きなインパクトを残して、
彼は早期退職した。
昨年4月、大腸がん、しかもステージ4であることを告白する。
抗がん剤治療をしながら、過ごした日々。
余命宣告を遥かに超える、
今年6月8日が命日となった。
たまたま出張で関西にいた。
天候不順で2泊の予定が3泊に、さらに4泊に伸びた日が、
8日だった。
迷惑を承知で弔問へ。
眠っているような顔に、
涙が止まらなかった。
◆◇◆
最後に会ったのは、2月に那覇で食事をしたとき。
那覇でよく歌ったバーで、
今は閉店した「ボラーチョ」のマスターと、
3人で、沖縄料理に舌鼓。
あれもこれもと注文して、
綺麗に食べる相変わらずの大食漢振りだった。
そのとき撮った写真。
一軒目を終えて
-どうする?歌っていく?
「歌わないわけないでしょう!」
たぶんしんどかったはず。
最初は着座して歌った。
そして、意を決したように立って歌った曲は、
得意のMr.Childrenではなく、
スターダストレビューの「木蓮の涙」だった。
♪いつまでもいつまでも
♪側にいると言ってた
♪あなたは嘘つきだね
♪私を置き去りに
歌に込めてくれた思い。
心に染みた。
◆◇◆
帰り際
-ハグしていいか?
「いいですよ」
力強かった。そのぬくもりを感じた。
後日、
LINEでのやりとり。
「一曲一曲、人生最後のつもりでフルパワーで歌いました」
「次があるといいんですが…」
実現しなかった〝次〟
♪逢いたくて逢いたくて
♪この胸のささやきが
♪あなたを探している
♪あなたを呼んでいる
雄一郎君、ありがとう。
安らかに。
