著書制作 欧州取材雑記 書き落とし  (誤字等ご容赦ください)

 

✴︎

 

 

午前11時30分過ぎ

コペンハーゲン市内にある移民管理局に到着した。

 

受付開始が11時30分からだと下調べしたが、すでにサービスセンター前

路肩の駐車場は車で溢れ、駐車禁止エリアにも多数車が止まっていた。

 

センター内にも人が溢れ座席に座りながら順番を待つ多くの人が見て取れた。

 

取材時はいつでもそうだが、急にカメラを向けることは控えた。

先ずは身体だけ。車から降り入り口に近づき様子を伺った。エントランスは誰でも入れる様に特に施錠等はされていない。

(身分証の提示も必要なく係もいない)

1日に1600人が電話をしてアドバイスを求めるー

中に入るとセンター内では写真の撮影が禁止だとペイントにて壁に記されていた。

 

アフリカ系黒人、中東系、アジア系、

多種多様な姿。人、人、人。

 

センター外に出て

様子を伺い、インタビューを開始しようと決めてからも

声をかける事をためらった。ここに来るまでは時事的な事情も考慮し

イラン人やイラク人の方々に話を聞きたいと思っていたが、その様な方々を見ても声をかけることがなかなか出来なかった。

 

 

 

私の車のすぐ後ろに車を止めた

気の良さそうな青年がちょうどセンターから戻り、タバコを吸い始めるそぶりをとる。

すかさず、彼に習い、同じタイミングで私もタバコに火を付けた。

 

 

hi yah  its cold  

yah is right . 

you need green card  something?  

yah i need to everyting . 

ohk , i see ,   I’m journalist from japan .  can i ask you  something ? 

sure 

where are you from ? can i ask ? 

im from  Afghanistan  ,  you from japan ?  sorry for american bom yah , 

sorry ? 

i saying   im sorry you  for american atomic bomb . 

ahh yah thanx , america is fucked up ya still fucked up . thanx .  when did you come to denmark ?

its was in 2010 , for war in afghanistan , 

how old ware you ? can i ask ? 

it i was 16 years old 

why you chose denmark ??   

no i don chose denmark . i went to norway  . because people told me norway is good ,

so i went to norway .  but norway police and  government dosent work . 

and then , they send me to  denmark .  

how ware denmark government ?  i asking you  about beginning  your denmark life . 

i was no money  , when i arrived denmark . but they gave to  me some short  visa , 

so i can  work at  pizza shop, mechanic or something to do i can  do every thing . 

yah good , so you make it little by little , and  they(denmark government ) gave you  visa extension right ? 

yes , 2years 7yaers , now my  gool is get  Denmark passport . 

good . did you come with some  one  ? i mean with your family ? 

no , i came alone  .  now i think im good , because now norway is hard to work and visa extension.

 

can i take you  photo if you ohk ?

sorry yah ,  i have to go back to inside , cause my number will coming . 

ohk no problem thanx , 

thank you too for  good conversation  . 

 

 

 

途中から、身体が熱くなり、硬くなり緊張した。

タバコを一本吸い終わる程度の短い時間。冬のコペンハーゲンは空気が乾燥している。2分程度だっただろうか。

色の白い肌。人の良さそうな無垢な笑顔。midle east .アフガニスタン出身。 顔の作りも表情も私たちに近い。

写真を撮ることは拒否されたが当然だと思った。彼もナーバスになるし、彼からすれば写真を撮られる理由はない。

しかし、映画を見ている様な不思議な時間に感じた。

時間軸が曲がる様な、会話の途中、一度だけお互いが無口になり会話の糸口を探したが、

後から考えれば、終始私が質問をし、彼はその都度丁寧に受け、そして答えてくれた。

 

 

この日、コペンハーゲンは朝から雨が続いていた。途中止んだり降ったりを繰り返したが底冷えする。

身体も冷えた。

彼の答えてくれた言葉を忘れないうちに書き留めなくては。

私は車に戻り、取材道具の画板とノート、鉛筆で、記憶を辿り時系列を整理した後

書き始めた。

 

 

“”2010年 戦争が起きた為一人で避難した。””

鉛筆の文字。見慣れた自分自身の文字。

2010年 戦争が起きた為一人で避難したー

ここまで書いたところで、急激な感情の揺れに襲われ、気がつけば自分が書いたばかりの文字を見ながら涙を流し

あ、っと思ったが止めることができず、さらには後から後から涙が溢れ出た。

涙を拭き、気を持ち直し、書き進める。

ノルウェーが良いと聞き、辿り着いたが滞在許可が下りなかった。

お金もなかった。16歳だった。

 

 

これを文字にした後はもう感情を抑えることが出来なかった。嗚咽とともに涙が溢れた。

ここまでで、もう十分過ぎすほど過酷だ。

i came alone . 一人で来た。この言葉の裏を想像することは誰にでも容易だろう。

一緒に逃げることのできた家族や友人はいなかった。だから一人だったのだ。

それは、多くの可能性の中で彼の家族は戦争によって命を失ってしまったのかもしれない。奪われたのかもしれない。

とにかく16歳の少年は、食うか食わないかの状態でなんとか憧れの国ノルウェーに辿り着いた。

しかし、そこでは滞在許可は与えられず、自らが選んだ訳ではなくデンマークに輸送され今この地に暮らしている。

 

 

彼の人生に触れた気がした。彼の大切な壮絶な人生に

戦争を経験し、避難した一人の青年の人生に。

 

ジャーナリストとは何だ? 不覚になり、ノートにしっかりしろと書く。

覚悟だ。覚悟なんだと繰り返し言い聞かせた。

 

im a journalist from japan . can i ask  something ? 

私たちジャーナリストは

この言葉と引き換えに、彼らの人生の本当に大切な領域に踏み込む事を改めて知らしめられた。

もちろん、イラクやその他、戦争が起きた地域出身の人々と言葉を交わしたことがある。

しかし、それらは、彼らが今はある安定した生活の中での彼らとの出会いであって

今、まさにボーダーサーヴィスでより良い、今より、より人間らしく

尊厳を取り戻した生活をしたいと望む、そんな切迫した場面ではなかった。

 

 

彼は終始淡々と、嫌な顔一つせずに、時には笑顔を交えながら私の質問に答えてくれた。

だからこそ余計に堪えた。

 

 

日本出身と伝えると、まずsorryと言われることがある。彼もそうだった。

sorryとは謝罪以外にも、気の毒だった事柄に対してお悔やみ。

被爆国に対して。

写真を断りながらも、いい交流ができて良かったと彼は私に伝えた。

身体が熱くなり、

お礼こそ返したものの、彼の人生が今後より良い方向に行く事を望むと

せめてもの希望を伝えることが出来なかった、それを激しく後悔した。

 

 

移民の中には難民の方々も多くいる。

移民と難民。

似て非なるバックボーンの差

難民とは何らかの理由で祖国を追われている人だ。

武力紛争や政治的な迫害のほか、人権侵害などを逃れるために国境を越えて他国に庇護を求める人々だ。

 

彼らは世界に対して、何か悪事を働いただろうか?

祖国を追われてもいいような。家族や故郷を奪われる理由に値する何かを。

 

統計学的な数字で移民や難民の数を知る機会があるが、忘れてはならないのはその後ろには必ず

彼ら一人ひとりの人生がある事だ。

 

自らが彼らの声を聞きたくてここに来たが、涙が後から後から溢れ出てしばらくは止めることが出来なかった。

自分には何が出来るのか?自問した後、出来ることは伝えることしかないと辿り着く。

気持ちを新たにすると、センターから出てきた件の青年と再び目が合う、彼は笑顔をくれた。

 

 

 

 

 

 

タリバンとはアフガニスタン現地の言葉で寺子屋

(子供達が集う学びの場を意味する)

 

取材 texted by  大嶽創太郎

 

本ブログ文章の一切の転載を禁ずる。

 

著書制作のための取材でしたが、時事性も踏まえ公開しました。

もし、何かお感じになりましたら下記のリンクから支援団体、作家に

金銭的な支援をお願い致します。

 

photo by

 

David Markによる     (アフガニスタンの少女たち)

 

Amber Clayによる      

 (↑ アフガニスタンの少女たち 他 このリンクには作家の素晴らしい写真がたくさん見て取れます )

 

 

UNHCR japan  HP   

 

https://www.japanforunhcr.org/unhcr/refugees/