偶然中村哲氏の著書を手渡されたのは、2010年南アフリカ ダーバンでの事だった。
同年6月に開催されたサッカー南アフリカワールドカップの様子を
現地から24回の連載レポートを終え、私はしばらく休暇を取り現地に滞在していた。
共にワールドカップを追いかけ、帰国を間近にした日本人の友人から託された形となった。
海外で出会う本には二種類しかない。駄作か秀作かだ。
酔っ払っては適当な事を言う年上の日本人男性だったが
これは是非読んで、と別れ際
神妙な表情だった事を記憶している。
日本人たちが去り、たった一人街に残り、
インターネットもない日常で読んだ氏の著書には多くの感動的な場面と学びがあった。
タリバンに花束を
ペシャワール会は日本人医師 中村哲氏が設立したNGO団体だ。
アフガニスタンで医療活動に従事していた中村医師は
当初ハンセン病の患者に対して医療活動を行っていたが
大干ばつを機に発生した赤痢に対し
病の原因は飲料水にあると考え、自ら重機を操り用水路の建設を始めた。
診察だけではなく、生活の源となる水源確保に翻弄する中村医師。
荒廃した土地に緑と水が戻り、地域の多くの人達と喜びを分かち合った。
※殺害された伊藤和也さんも『アフガニスタンの復興のためには農業支援が欠かせない
』と考え自ら志願しペシャワール会の活動に参加していた。
「なぜ、日本を飛び出したのか正直に答えてみなさい。
別に追い返したりしないから。」
中村医師はそんな風に実直に若者達に接し、
伊藤和也さんらと共に汗を流し、用水路を完成させたのだ。
(※2008年アフガニスタンで起きた
ペシャワール会職員 伊藤和也さんの拉致、殺害事件-
「自己責任」という論調が多く聞かれた中、はたして
事件の背景をどこまで多くの日本人が理解していたのだろうかと、今でも疑問が残る。
私達はしばしば、遠い国や その地域の人達の信じる宗教に対して
間違った畏怖の念を持ちがちではないだろうか?
2019年12月5日
静岡県掛川市在住伊藤さん両親は
息子を二度殺されたように感じる。と新聞社のインタビューに答えている。)
中村医師が著書のなかで下記の様に語っている。
「タリバン」という言葉はタリバン兵などとも用いられるため間違ったイメージを持ちがちだが
本来のアラビア語では「学生」や地域の「寺子屋」「公民館」などを意味する。
学校等が少ないアフガン地域ではこういった公民館が子供達の貴重な教育の場となり
集会の場となっているのが語源。
集会の場になっている故、アメリカ軍の空爆の標的にもなり多くの子供達が命を落としている。
昨今の日本人も宗教は持たなくなったとは言われるが
神社の鳥居や境内にミサイルが打ち込まれたら、どうだろうか
感情を逆なでする行為だと想像に容易いだろう。
中村氏が埋めようとしたのものは何か?
戦地の中で
生きようとする人々を助けた。
私たちが危険そうだと嫌厭する地で懸命に現地の人々に向き合った。
医師として、歴史の証人として。
ご冥福をお祈りいたします。
*
了
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journalist 大嶽創太郎