11年前の1月中旬 私は香港に旅立った。
2008年ー当時、私は東京にてモデル業を生業にしていた。
前年の10月に香港のモデル事務所のスカウトが来日し
東京のモデル事務所を周りハンティングした際、私もリストにひっかかり面接することになり
良かったら3ヶ月間 香港に滞在してモデル活動をしてみないか?と口説かれたのだった。
香港のモデルマーケットは東アジア圏から世界に広がり日本にはない好条件の仕事もある。
東京のエージェンシーとしては、3ヶ月間の所属モデルの休業は痛いが
私が獲得した香港での仕事の1割のギャラが入る事、
そして仮にワールドキャンペーンなどの仕事を取ることができれば帰国後の仕事に有利に働く
そう判断し許可が下りた。
私を面接した女性は世界的に有名なエージェンシー
エリート香港から派遣、来日したマネージャー職であり
本人もある程度の権限がある。
往復のエアチケット代 日々のこずかいの支給が約束され(確か週に1万円とかその程度と記憶している)
香港でのアパートメントの約9万円自腹(ギャラから天引き)
モデル収入の1割が東京のエージェンシーにそして2割が香港の事務所の取り分に
なる事で話がまとまった。
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緊張していたのだと思う。
上京をする時よりもはるかに心細い。
香港には知り合いは一人もいない。知っているのは面接をしてくれた女性のみ。
仲間たちを集め送別パーティーにて酔いつぶれ、
出発当日になり羽田と成田を勘違いしていたことが判明。
私は、広尾駅からタクシーを捕まえ””すみません、成田空港まで!!””と懇願。
運転手のおじさんは気を使い後半はメーターを切ってくれたが
広尾駅から成田空港までは2万円以上かかるのでタクシー移動はあまりお勧めはしない。
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私の香港滞在はアキーバというハーフアメリカン
ハーフジャパニーズの男と出会うことによって分岐点を迎えた。
身長2mオーバーの大男。
私の古い読者の方には、おなじみだと思う。
後に親友となるアキーバが
香港に滞在する外国人モデルたちと友達になるきっかけを与えてくれたのだった。
いいかいsotaro 英語ではムカつくことがあったら言い返せ。じゃないと負けだ。
いいかいsotaro 乾杯の時はグラスの位置なんか気にするな。そこにいる全員の目を見て乾杯するんだ。
いいかいsotaro 彼女たちの口説き方はな 一緒に酒を飲む 二人きりになる 甘い話をする
目があって3秒以上、目が離れなければ、そこだ!!!! お前は彼女の唇を奪うんだ!!
などと実践的な外国人との接し方を教わった。
アキーバが教えてくれたことには
多くの真実が含まれていたし、ある種スラング的な悪い冗談も教わった。
香港には世界中か美男美女が集まってモデル活動をしていた。
ヨーロッパのファッション界最前線のスーパーモデル。
ブラジル、インド、ロシア、スウェーデン、カナディアン。
不良、ボンボン、その後ハリウッドスターになった者、世界的に有名DJとして成功した者。
帰国して慎ましく生活し結婚をした者。色々だ。
この辺りで一回叫んでおこう。
yohh helooo my friends .
I love you guys !! see ya again some days yoouuu hooo !!!
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忘れなれないことも、多くある。
アキーバたちとクラブに遊びに行った際、私だけエントランスを通れず
初めて人種差別(らしきもの)を受ける経験をした。
その後毎週末入り浸ることになるこのクラブでは
女性従業員が毎日嬉々としてトイレの清掃係りをしていた。
“私はあなたをリスペクトします”,と伝えると、
「この仕事は世界で一番私にぴったりの仕事よ」と返された。
最先端のEDMミュージックを身体中に浴び
テーブルと酒を囲んで世界各国出身の美男美女と
日常のありふれた会話をする。
ベッカムがLAギャラクシーズに所属しクラブに遊びに来た。
私たちは連絡を取り合い、会いに行き握手してもらったり
そもそも英語を、話し方を、怒り方を、伝え方を、友達になって欲しいと
それはどう言うのか、私はカナダ人、スエーデン人の友人に教わった。
そして差別とは何か?
自分の選択として出来ないもの(例えば肌の色や出生)を蔑むことがいかに愚かで醜いか教わった。
他方、愛とは喜びとは、その伝え方や、カナダ式の一気飲みの仕方
人生とは何か、自分の選択を信じろと
日本にいるだけではおよそ出会わない真剣な言葉と真剣な瞳に出会った。
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若かったのだと思う。
私も、そしてそこに集う世界中のモデルたちも。
毎晩飲む者もいたし、夕方5時には今夜はどうする?となんとなく連絡が入る。
緑美しいサッカーグラウンドでボールを蹴る。
やることがない日曜日にルームメイトと歌を作る。
皆で鍋を食べに行き
鍋のやり方でトーマスとクリスティーが言い合いになったり、思い返せばすぐその日常に戻れそうな
美しい日々、東京の日常から離れた日々。
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2019年 6月
再び、香港を訪ねようとした時、
香港人で親切にしてくれた 友人ジャックが他界していることが分かった。
当時を記録したメッセンジャーの記録にはこうある。
ありがとうジャック
ありがとうsotaro
また必ず会おう約束だよ! 飲もう!語ろう!! そして秘密の話をしよう!! 兄弟!!
2008年当時のやりとりが今でも残っている。
ジャックは私より5歳ほど若く、当時は売り出し中のモデルで
その後、香港芸能界で成功を納めていた。
11年が経ち、時間を感じていると
同時期に私に英語を教えてくれていたスウェーデン人 イダが 結婚したことを知った。
アキーバはその後、日本でフラワーアーティストとして活躍している。
私は香港での滞在をなんとか黒字化し帰国。リーバイスとsonyのキャンペーンが大きかったが
性に合わないモデル業は2010年にやめジャーナリストをしている。
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前置きが長くなったが、私たちが過ごした香港で何が起きているか?
今、私は11年ぶりに香港に向かう機内に居る。
このレポートを当時の仲間に捧げたい。 アキーバ イダ クリスティー トーマス マティアス
そして今はこの世にいないジャックへ。
i love you i love you i love you !!
当時俺たちがいた香港は今こんなだぜ !!