有料 メルマガからの抜粋記事です。

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こんばんは 大嶽 創太郎です。

皆様、いかがお過ごしでしょうか?

時々、世界を変えられる気もしていました。
が、そうは簡単に行かない時、打ちのめされて歩みを止めるのは
もう止めようと思います。


物事にはいろんな時差がありますね。
最近の僕はと言いますと、東京の一番仲のいい仲間に
「だってお前はジャーナリストだもんな」と、認知して頂ける様になりました。
僕はこの数ヶ月間、ニュースや時事となるべく距離を置き
過去に向き合ったり、音楽や純粋な創作に打ち込んでいました。
(だから、こんなタイミングで声をかけられても戸惑うのですが……)


anyway とにかく、僕らの輪っかには、
村上龍の推薦文と共にランダム賞を受賞した小説家がいたり
音楽家、俳優、建築家、芸術家または裏方業など
とにかく、各ジャンルのあなどれない人達が多く
彼らに揉まれ
またふつふつと、燃え上がるモノ=書きたいなという思いが気持ちが
強くなり、再び意志を固めた今日この頃です。


いったん宣言したら、この職業は止められないのかもしれません。

さぁ、ジャーナリスト3年生が始まります。



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今週の目次

1 # I AM KENJI
回想 & 時事評論 
後藤健二さん 殺害について思う事

(冬の星― 桜散り、季節が変わるその前に)

2 未来の選び方 
「選挙ってなんだ?」 熊谷俊人 著 を読む


3 近況報告とご挨拶をかねて



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四月 十一日 配信 
1 # I AM KENJI
回想 & 時事評論 
後藤健二サン 殺害について思う事



冬が終わり、桜の開花を待つ頃に
待ち遠しい気持ちと同時に、春に寂しさを憶える人は
少なくないはずだ。

4月1日
この日で、後藤健二さんが殺害されて(殺害されたと判明して)二ヶ月が経過した。
二回目の月命日を迎えたこのタイミングで
もう一度、この問題について語り 皆さんと一緒に考えて行きたい。

*

後藤健二さんの伝えたかったメッセージと
残したかった意志とは?



*** ***

一月三十日 中目黒 某所
「イスラム国なめんなぁ~」。
週末の居酒屋、赤い顔をした中年男性が叫んでいる。
同席の仲間もさらに笑いを誘う話をかぶせている。
誰一人、会話の流れを否定しない。
誰一人、真剣に心配し、後藤さんの身を案じている者はいない。
あげくの果てには、
「いや~俺は今回の件、感動しちゃったよ~。」
と、言い出す始末。


それは、違う。
感動ではない。この一件、一連の出来事は映画などではない。
作り物でもフィクションでもエンターテイメントではない。
正しい言葉で言えば、おっさん、あなたの心が大きく揺れた、だけだ。
あなたの、物足りない日常にショックを与えただけだ。
勇敢なジャーナリストが殺される(殺された)事に対して
思考と言語が追いついていないだけだ。


僕は、一人 奥のテーブルに移り、黙々と餃子を胃袋に流し込んだ。


*

残念な事にこの光景、こういったシーンは決して珍しい出来事ではなかったようだ。


僕は2013年ブラジル サンパウロにて
ブラジル最大の邦人紙 サンパウロ新聞の取材を受けた。
当時、インタビューアーを務めてくれた和泉記者は
まだ若く、大学のインターン制度を利用してブラジルに渡っていたが
日刊紙のほぼ全ての記事を執筆するなど、相当に鍛えあげられていた。

おかげで、僕にとって初となるジャーナリストとしてのインタビュー(される側)は成功し
彼女の作った記事は骨格とビジョンがはっきりと伝わるものとなった。
誰に見せても、恥ずかしくないばかりか、あまりある感謝の気持ちを覚えた。
話が少し脱線してしまったが、和泉記者はその後インド 孤児院での研修を受け帰国。
2015年の年明け この時期、
同じ様なシーンに遭遇し、戸惑い、傷つき、怒りと嫌悪をあらわにしていた。

一人の日本人女性、また記者としての考えが伺えるため紹介したい。
***
『私は、外見的な見た目を外国人と間違われて、日本人?と聞かれる事は
嫌いではない。留学生?などと聞かれれば
むしろ喜んで、沖縄人である事を説明する』

しかし、この日問題なのは 酔っぱらいの悪い冗談としても見過ごせない
最低な質の会話の受け答えだった。

居酒屋で、中年男性に声をかけられ例のごとく外国人?日本語上手だね?
と尋ねられ、『沖縄人です』と答えると。
「イスラム国の人じゃないよね?困るよ怖いよ?ダメだよ?がっはっはぁ~」
と、言われた。
彼女の気持ちを察したい。しかし、彼女が問題にし危惧しているのは
さらに違う視点だった。
『100歩 譲って私はいい。私は平気だ。自分の考えがあり、
世界がもっと違う事をこの大人達よりも知っている。だから ぶれない。
しかし、こんな大人達を大人と捉える子供達はどうか?
子供は大人を見て育つ。大人の発言で善悪を判断する』

真剣な大人がいなくなった時、どんな子供が育つのだろうかと
自分の怒りを脇に置き、その状況を危惧していた。

貴方の周りに勇気を持った大人がいるだろうか?勇敢な大人はいるだろうか?
きれいごとばかり言う大人がいるだろうか?
『普段はこういった気持ちにはならないんだけど、ごめんなさい』
と、彼女の文章は結ばれていた。

***

繰り返すが、もう一度 後藤さんの死について考えてみたい。

僕はあの日を迎えるまで、眠れない日々を過ごしていた。
ひどくひどく長い時間に感じた。
これほどまでに、明らかに脅され脅迫され、殺されていったジャーナリストは
過去にはいなかった。

悪い例を二つ先に出してしまったが、もちろん違う光景もある。
中央区 人形町の中華料理屋では
店に来ている客の全てが、TVのニュース 後藤さんの安否について
静かに、しかし、食い入る様に画面を見つめていた。
テーブルに飲みかけの酒を残したままだ。

僕達は今、何を感じ、どう行動したら良いのだろうか?
僕は英文の声明をインターネット動画にアップする事に決めた。

***

お前の翻訳だけど、悪いけど出来ない 。違和感が強いから—

「アメリカはいい国だよ。」シアトルから戻ったばかりの友人Aは言う。
三日三晩悩み、動画サイトにアップする原稿を日本語で書き上げ
ハーフアメリカン ハーフジャパニーズの混血児
完璧なバイリンガルである彼=Aに相談したところ、突き返されてしまった。
「新鮮で安い野菜。うまいコーヒー。
シアトルは景気もいいし、人は働くだけじゃなくて
人生をちゃんと楽しんでいる、
だってさ、世界中色んな貧しい国の人達がいてさ
どこの国で生活したいと願うと思う?アメリカなんだよ」

彼が数年ぶりに母国を尋ね、経験し、吸ったシアトルの空気。
好景気に湧く街並、人々の生活ぶりは嫌みなく受け取る事が出来た。



しかし、僕にも見て来た異国の光景がある。
僕は南アフリカなどで出会ったイスラムの人達に、大変親切にして頂いた。
食事を分け与えられ、教徒ではないにも関わらずモスク内の祈りの風景の見学を許された。
中には、僕が日本から来た事を知ると
アメリカの被爆を受けた国の人間である事に対し、お悔やみを言われ
アメリカの主張する『正義』について議論したりもした。
この街、ダーバンで最も貧しい浜辺に暮らすストリートチルドレンは
海水と砂でアートを作っている。
「キリスト教もイスラム教もユダヤ教もお互いを尊重しあいましょう」


僕がない頭で考え抜いたスピーチの原文は
彼らイスラム教徒に対して僕らは(少なくとも僕は)リスペクトしている事。
僕らは貴方達の信じる物を奪ったり否定したりするつもりもない事。
日本の政治家達の頭はこり固まっていて、彼らの決断が僕らの意志と同じではない事。
アラーの名の下に、ジャーナリストが殺される事は正義なのか?許される事なのか?と問う事。
また、後藤さんが女性や子供達にフォーカスを当てたのは
彼女達こそが真の被害者であり、同時に僕らにとって共通の宝であり未来である事。
などを綴った。
バカがつくほど正直に素直に、質問を問う事しか思い浮かばなかったからだ。


日本の生活に慣れた事を差し引いても、ひどい英語のスピーチであった。
ネットに詳しい人間のアドバイスを受け、ヨルダンなどアラブ圏からアクセスしやすい設定に工夫した。
後藤さんが殺害されるまでに500回程の再生がされ一件のコメントが寄せられた。
おそらく、アラブ圏に暮らす誰かからだろう。
『what do you dislike ?? 』(お前は何が嫌いで、何を否定しているんだ?)

嫌いなモノは山ほどある、しかしここでの僕の真意は、
出来るだけ、時間を稼ぎたかっただけだ。

*

その後、周知の事実の通り、後藤さんは首を切られ殺害された。


******
僕達にとってジャーナリストとはどんな存在なのか?
世界が争いに満ちて、危険だと言う事を伝えたかったのだろうか。
残念ながら、最後の意志として止まってしまった後藤さんのHPには
下記の通り言葉が残されている。

To be or not to be.
投稿日:2014年7月28日
作成者: Kenji Goto



シナイ半島に行った。
世界各地で、なぜ、こうも衝突が絶えないのだろう?
その一方で、全世界中に漂うグローバル化の疲れや失望-「私たちには正直わからない」「私たちだけは安全なはず・・・」「自分の家族が一番大事」といったある種開き直った意識。
“What can I do ?”
視聴者離れの激しいドキュメンタリーの存在意義とは何か?
作り手はその点を深く考えようとしない。突き詰めていくと、自分の首を絞めるからだ。
モバイル時代にニュースに求められるモノは何か?
短くても継続して伝え続けることが大きな山を動かすことになるのを忘れてしまったかのようだ。
メディアで伝えられる時には、もうすでにポリティカルなゲームにすり替えられてしまう昨今の事件事故。バリューを付けていくのは難しい。
「話題」の現場で起こることはごくシンプルだ。
朝10時くらいに床からのそのそ出て、何の迷いもなく考えもなくAK47(※カラシニコフ)やRPGを手にとり戦いに行って、戻ったら仲間と食事をして、タバコをくゆらせながら馬鹿話をして寝る。ごくまれにモノ好きな外国人のジャーナリストや諜報部員、自分たちの知り合いではない人たちの訪問を受けると、単なるおしゃべりが答えの出ない議論に変わる。そして、寝る-
そんな繰り返しが戦闘地帯における最前線の日常だ。


http://ipgoto.com/特集
INDEPENDENT PRESS より

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僕達は、僕達と同じ日本語を話す
紛争地域、現地の様子を自らの言葉で語る
貴重な日本人ジャーナリストを失った。と僕は思う。

日本=この国は、豊かな一面もある。
しかし反面、聞くに堪えない見るに耐えない、病んだ側面もある。と僕は強く思う。

後藤さんの危惧した通り
ニュースはルールの中でゲームを繰り返している。
誰も考えを持たぬまま新しい事件が報道され続ける。
13歳の男の子が殺された。大学教授が女性を殺した。副操縦士が飛行機を墜落させた。
悲しいニュースばかりだ。何故だ?事実である事以外にも理由はある。
悲しさ、や 辛さは それだけで 人を惹き付けるからだ。

**

最後になるが評論したい。
残念で仕方ない事がある。

僕達のリーダーは知っていた。
集団的自衛権を推し薦める為、選挙が年末に控えるため情報を撲殺した。
だから、僕達は知れなかった。
その後はどうだ?

日本人ジャーナリスト拘束に対し、日本人の対応として第一報として拡散された
ニュースがある。
拘束され、ナイフを突きつけられ、オレンジ色のつなぎを着させられ
脅されている後藤さん達を茶化したアイコラだ。
海外のメディアはアイコラが日本人らしい風刺的な反抗だと報道した。
嘘っぱちだ。
そんな、ウィットで考え抜かれたモノではない。
痛みを知らない輩の遊びだ。

僕達が、難しい問題だと方法や基準を探し「考えさせられていた時」
アイコラがニュースが報道された影で
#IAMKENJIが立ち上がった。
クダラナイ アイコラが日本のスタンダードとして報道されなければ
どうなっていたか?
後藤さんが殺されずに済んだ、とは直結しにくい。

しかし、子供達の考え方は 影響の仕方は変わったはずだ。
結果が見えている最悪の展開の中にも、最後まで示せる姿勢はあったはずだ。
No と言いにくい世の中なら、せめて何かに対してYes って心から叫んでみろよ。
酔っぱらいの、おじさん方には肩肘つきあわせ、顔面につばを吐きながら言ってやりたい。



後藤健二さん、貴方は、最期まで立派でした。
ジャーナリストとして最後まで仕事を貫き、職業的責任を十二分に果たしました。
貴方のメッセージは、声は大きく「報道」され多くの人の耳に届きました。
バトンは繋がっています。


貴方が愛した日本では、今年も桜が咲き、そして美しく散りました。



風刺でもコラージュでもなく怒りを込めて
一ジャーナリストとして、一日本人として

本稿を締めさせて頂きます。




# I AM KENJI 回想 & 時事評論 
後藤健二サン 殺害について思う事

( Text by Sotaro Ohdake
Freelance Journalist / Hemingway Pen Club )

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