海外に出てしばらくすると体感が変わって来る。
光量の変化で目の色が変わったり、味覚や季節風土に合わせ欲する食事、量などもだ。

それと同時に離れた日本に対して少し違った印象を持つ事がある。
ニュースや出来事メッッセージ等がシャープに感じたり
時間があるせいか普段思い出さない様な事を考えたりする。


ある旅人繋がりの先輩が6日 広島に赴き献花した事を知った。
「海外にいるとその日を意識せず過ごしたり
日本にいても8時15分通勤ラッシュにもまれ意識出来ないけど
今年はそう言った行動が出来た」と、控えめに書いてあった。
8つ程の年上にあたるその人の書き込みには
子供の頃、おじいちゃん世代の方々から戦争について語り継がれ、そういった機会が行動の動機にあったとある。

そしてそれらを受け取った自分たちが後世に伝えていこう、とまた別の先輩の書き込みが見て取れた。


旅人は時に逃避行になぞられ誤解を受けるが
諸先輩方の行動に感じる事も多かった。たった8つしか違わないが
僕ら以下の世代は戦争体験者、当時者の声を聞く機会はなかなか ない。
ゆえ身近な先輩の行動や考え方にあるべき「大人」の姿を見いだし背筋が伸びる思いを憶えた。


*

僕らが高校2年生だった頃
保健体育の先生に丸子先生と言う50代の体育教師がいた。
体育を受け持たれる学生からは「厳しい、ひいきする」など批判があったが
僕らはそんな印象を持っていなかった。
4月、保健教師として僕らを受け持つ丸子先生は年度始め挨拶でこんな事を言ったからだ。
「保健という教科科目はさして重要ではない。教科書に載っている事は一通り教えるが三回に一回程、授業は自由時間とする。体育館を使えるように用意するから各々好きに過ごしなさい。君たちの年代には語るべき事が多い」とそのような言葉だった。

言葉通り三回に一度程 授業は自由時間になり
僕らはバスケットに興じたり
仲間の女の子の妊娠問題や
同じ学区内で起きたリンチ事件のその後の様子等
その時間でしか話せない事を消化し、あるべき姿を保てたのだと思う。
大人が思う以上に16 17歳の男女は問題が多かった事を記憶している。



街にもそんな丸子先生のような理解ある大人がいた。
僕の場合は行きつけの美容院の美容師さんだった。

数で言えば圧倒的に少ないかもしれない
理解ある大人がガス抜きをしてくれたり、導いてくれたから助かった事が多い。


佐世保の事件を知った時に驚きと同時に日本社会の歪みを実感するとともに
彼女の周りにはどんな大人がいたのだろうかと思わずにはいられなかった。




そしてもう立派な大人として判断される年齢に達した自分が
かつて僕らを助けてくれた大人の様に
下の世代に何か与えられるか考えた時
冒頭の先輩方にあるべき姿を見習い
小さな声や力でも行動をと
改めて考えさせられるのだった。