カタール ドーハ より


少し間が空いてしまいましたが
先日の代表戦

日本対オーストラリアのスタジアムレポートの続きから書いていこうと思います


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2013年 6月4日 埼玉スタジアム
ブラジル行きを懸けた運命の一戦は
1点のビハインドで後半40分を迎えていた
スタンドからも代表のゲーム運びは悪くないものと言えた
試合巧者
オーストラリア相手にポイント 的を絞らせる事なく
幾度もの決定機をつくり攻め続ける
ブラジル行きは手中に収まったかのように、
6万人強が見つめ作る雰囲気にはある種の楽観が感じられる


オーストラリアの先制点がアンラッキーな形で決まると
状況は一転
試合を支配しながらワンチャンスを決められ敗北する
サッカーの試合ではしばしばある展開に
サイドスタンド
サポーターは意気消沈し カテゴリー1の席は静まり返っていた
自身もブラジル行きの計画を考え直し、また後悔をしたり
それらは正直な気持ちだった



居ても立ってもいられない

声を上げたく
代表が目指すゴール その裏へ
オーストラリア代表のゴール裏へ向かったのだった

スタジアムの聖地カテゴリー5 爆心地
旗を靡かせ太鼓を叩き声をあげる男達
母国の応援歌が響き波打つ青いジャージが
その後ろ姿は、代表の最後の反撃を信じていた

PKの瞬間、スタジアムの緊張感はピークに達した
日本代表 背番号4番のキックは
ゴール裏ど真ん中に決まった

ペッドボトルの水が舞い 旗が踊り歓喜の嬌声が谺する
僕達はブラジル行きを決めたのだった


ロスタイムに追いついた粘り強さや
本田のど真ん中のPKを
彼の心の強さを除けば
やはり消化出来ない不安や不満が残る

しかし世界で最も早くブラジルW杯本選出場を決めたザックJAPANに
嘗てない期待を抱いてしまい夢を見てしまうのも事実だ



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カタール ドーハ


2013年6月15日

午前四時
朝陽が空港ラウンジに差し込んでいる
アラビア文字の表示案内
イスラム教徒の為の祈りの部屋
(子供達が遊べるプレイルームにはジャングルジムや滑り台もある)
日本からおよそ10時間のフライト 到着した機内から外に出ると
中東の生暖かい風を
湿気の混じった空気を感じたのだった



20年前 悲劇の舞台 ドーハ
カズやラモス 柱谷らを要する嘗ての日本代表の
そして僕らの夢は
後半ロスタイムに無惨に散ったのだった
ワールドカップ初出場の夢
アメリカワールドカップ出場への夢
手に入れたのは夢の切符ではなく、その後語り継がる悲劇のストーリーだった




「アーメリカに行こ~うよ~
アーメリカに行こ~うよ~アーメリカに行こ~うよ~
みんな~で行こ~お~」



それまで一度も歌われた事のない歌だった
カタール ドーハに駆けつけたサポーター達の歌を
ブラウン管越しに聞いた事を今でも強烈に憶えている
眠気を抑えながら試合を見守った


イラクのコーナーキック
ショートパスからクロスが上がり合わされ放たれたヘディングに
GK松永は飛びつけなかった

ゴンがベンチで顔を覆い地面に倒れ込む
ピッチ上の選手達は僅かなロスタイムを残しているのにも関わらず
座り込んでしまった

モノクロの映像が 思い出が焼き付いている
強烈な挫折感と敗北感
憧れだけを抱いたヒーロー達の姿が
彼等のうつむいた姿に スパイクを脱ぎ立つ事が出来ず涙を流す姿が
当時10歳だったサッカー少年には未だに焼き付いている
翌日の遠足を休みたいとさえ真剣に思ったのだった


1993年~2013年
20年間で僕らの夢はある種叶えられ
(4度のワールドカップ出場等)
それらは新たなステージへとより高い目標に変わっている

2010年
南アフリカでは冬の空の下 歓喜し喜びを叫んだ
ブラジルではいったいどんな未来が待っているのだろうか?

悲劇の舞台ドーハに立つと
物思いにふけ 過去から現在へと
代表の歴史や 自身の生きて来た道のりを考えられずには いられなかった






旅の途中、トランジットを待つ男女が互いに肩を寄せ合いベンチで眠っている
逆光の中、彼等の姿や空港特有の大きな窓から滑走路が見え離発着する飛行機を見て確認する事が出来た
思考の中にいる自身を思い知らされ、旅が始まった実感を得たのだった







freelance journalist
Hemingway pen club 代表
大嶽 創太郎
sotaro ohdake