虹の国をみつけたら past 14

マサイとサムライ  革命を信じる雄




高速バスでケープタウンへ向かう
窓の外には相変わらずフラットな赤土の大地が広がっている
その景色もだいぶ見慣れてきていた
時折思い出したように山や牧場を確認できる
ここに住む主人はきっと白人で人嫌いなんだろう、しかし彼らに雇われているブラック達は溜まったものじゃない。ここからじゃ週末の息抜きに通う酒場だって自力では行けないだろう
丘を越え緩やかにカーブした坂道を下れば
また地平線の向こうまで舗装された左右一車線の道が続いている

バス車内—ブラック達は黒人が主演するコメディー映画を立て続けに2本見た後は遠足を楽しむティーンエイジの如くはしゃいでいる

仲良くなるのが異様に早い。もともとお友達だったのか?と聞きたくなる光景に何度も驚いたが今回の移動は疲れが溜まっていたこともあり大人しく睡眠を取ることに決め込み目を瞑り続けた



300km圏内の最も標高の高い山はこの辺りではやはり神が宿る場所として信仰対象とされている
サービスエリアに立ち寄る
もっともウエスタン相手のクライミングやトラベルエージェンシーも兼ね構えているがフードコートには相変わらず油分の高いファーストフード店ばかりが並んでいる。
サンドイッチとコーヒーにミネラルウォーター
着色料と砂糖がたっぷり使われたキャンディーを買いバスに戻る
隣の席のブラックがボンデーズピッザのLサイズを持ち込んだせいでバスの車内はピザの匂いに支配された
口の周りをケチャップで汚し気持ちよく半分を食べた彼は残りの半分の半分までは食べたが最後の2切れはいらないと分け与えてくれた。
僕はありがたく頂戴した

夜の道をバスは行く。周囲には荒野以外何もないため窓の外には暗闇以外何も映らない。
もっともアフリカと言えどもこの地の夜の気温は4℃までに冷え込む。窓には結露した雫がたまり白く曇りそのためか星を見ることは出来なかった
外気の冷え込みが窓の割れ目から入ってきては体温を奪う。仕方なくカーテンを閉め僕は再び瞼を閉じることにした





短い夢をみた



高校の同級生Yはミュージシャンを夢見て上京した

まず顔に、腕に、その後全身に刺青を入れ高円寺や下北沢のliveハウスに立ちステージで英詩の歌を唄った
26歳になり首に入れた名のバンドを解散させた、多い時でも50人ほどの客しか集まらなかった。パンクロックに憧れた親友は卵を投げつける壁を見つけられなかった
今も昔も小さい子を見ると「エンジェルや」とだっこし隣に座った女の子には挨拶代わりに耳をかむ

MはそんなYのマネージャーのようなポジションで月に2度は結婚式に呼ばれナケナシノ金をはたく、方言を6割減で話す男
自分も表に立ちたいのだが性分が裏方に向いていて本人もその性格を受け入れつつありどこで憶えたのかワビサビと業務連絡などの事務作業は、20人ほどのパンクキッズを束ねるには十分で、僕を含めはたから見ても一芸に秀でていると言える
彼は26歳になったある日、俺はベーシストになる!と言ったが彼のステージは叶わなかった


LはY、Mと仲もよい
2人の誕生日より一日前に生まれたLは同じく高校の同級生
彼は母子家庭で育ち変わった名前を持つ
サッカー部では入学当時一番ヘタクソだったが2年の冬には不動のサイドバックのポジションを勝ち取った
唯一の兄は高学歴だったがある日部の会費を盗み退学になりその後はアルバイト先の金を盗み最後には闇金融に抱えきれない借金を作った。家族はLの兄を絶縁したがその後も取り立てに苦しむ。ハードコアミュージックを好みトリプルXだかの思想に感銘を受けた彼はある日酒もタバコやめた!と宣言する
Lはもともとある根性がさらに鍛えられWEBデザイナーになり仲間の誰よりも早く結婚した。

彼らの夢を見たのは後にも先にも一度きり

夢の内容を思い出そうとしてもうまくはいかず

時間を確認するため現地で買ったケータイをポケットからだし、画面を覗き込む

ふとLの誕生日の翌日
つまりは今日がYとMの誕生日である事実に気付かされる。






ケープタウンバスターミナル

20階建ての高層ビル群が軒を連ねる
銀行、通信その他上場企業の城
新宿西口にも引けをとらないそれらだが国土が広いためか隣接するビルとビルの間には空が覗き北にはこの国で最も高い山ケーブルマウンテンが見てとれる
もっとも標高2000メートルの山頂はすっぽりと雲に覆われてしまっているのだが

広場には1つ3円ほどでキャンデーを売る露店商達が軒を構える
1人旅気ままに自由に好き勝手に、それはそれでいいが現実問題荷物の管理が困ることも事実
旅慣れたバックパッカーとしてではなく
ジャーナリストとしてこの国に来た僕はあまりに多くの荷物を所有していた
ぶらりと露店を見渡し木彫りのお土産を売っている人のよさそうな主人を見つける
そして何気なく話しかけ安い小さな何かを買った
そしてアルミ製のスーツケースを指差す。30分ほどこれを預かってくれないか?
主人は一拍考えたが、その後快く申し出を了承してくれた



バックパッカーになり宿を探す、高架の下の遊歩道を行く
するとどこからか男が声をかけてくる
「何処に行きたいんだ?」
「安宿を探している」
歩いて5分程にいい宿があると男は案内してくれた。その男が特に気に入ったわけではないが従うことにする。10分歩いてたどり着いた宿は中国人が経営する中国人向けの宿だった。彼の親切に丁寧に礼をいいタバコが2本買える程度の小銭を渡した

回れ右をして来た道を戻る。やがてロングストリートと言う繁華街にたどり着きその名の通りロングストリートバックパッカーズにたどり着いた
一泊120ランドのドミトリー今夜は南アフリカの郷土料理特製ポトフがサービスされるとそばかすの白人女主人が教えてくれた

中庭にはよく手入れされた観葉植物や木々がありBBQスペース、ライブラリを兼ねたビリヤードルーム、共有キッチンにラウンジを兼ねたバー、食事を取る部屋には日の光が入り窓の外にはロングストリートを行き交う人たちが確認できる。クリスチャンの教会にイスラム様式のムスク、古書や文芸書を集めたブックショップケバブ、ピッツァを焼くレストランにコーヒーショップ

キッチンでは北欧系の女の子2人が豆料理を作っている

よく使われよく手入れされた銀製フライパンは表面だけ鍍金が剥がれているが愛らしい。
旅行者が置いていったスパイスの残りが仲良く並びバスケットには宿泊客の名前が記入され中にはポップで色とりどりのパスタソースやチップス、シリアルが出番を待っている。
悪くない雰囲気だ
パスポートナンバーを記入し3泊分の金を支払いチェックインすることにした


シャワーを浴びスーツケースとバックパックを預け街に出た
裕福な白人の恩恵に預りブラックや混血の歴史が発展し独自の街並みを見せる

壁画やレストランの壁にも芸術性の高いペイントがされこの街をバルセロナの雰囲気に近いと例える旅人もいた
悪くない悪くない。やはりケープタウンまで足を伸ばしてみて正解だった
ヨーロッパの様だ。久しぶりに食べ物のレパートリーも増えそうだし事件に巻き込まれる可能性もぐっと減っただろう
ただその夜、白人女が作ったポトフは作り慣れていることを疑うほど酷く塩辛かった





この街での滞在に夢膨らませゲストハウスに戻ると目に異様な物体が飛び込んできた
色鮮やかな赤と青のチェックの布を纏い民族装飾をそのままにした190センチの細長い男一人。マサイ族の男だった

旅を始めてから約3ヶ月、視界に飛び込む情報に対しての情報処理能力もそれなりに慣れつつあった。気がつけばブラックやラスタ達に囲まれる。ダーバンのゲストハウスには時折60人の小学生が遠足旅行で宿泊する
60対、つまりは120個のくりくりとした白目がちな黒目が興味深々に僕を見張る。

気がつけば物凄いところに来たものだ。ここはアフリカだ。そう実感する
しかし今回はそれ以上にショックが大きい

マサイ?本物!?なんで??
ケープタウンからケニアのマサイ村 直線距離でもおよそ4000Km(日本とタイ位の距離)は離れている
独自に編みこまれたドレッドのヘアを頭の上で御椀型に束ね毛束の先はなぜか金色に輝くいている
それが装飾なのか時間の経過によって自然的に出来た物なのかは想像することが不可能だった
額が広く堀が深いその顔は知的に優雅にそして瞳はやはり野生動物のように品がある
手首にはビーズや銅細工の飾りをたっぷりとつけ牛の角だろうか伝統工芸品の水筒をたすきがけにしsony eriksonのケータイ電話をいじっている

(いやいやいや。。ないない。うそだろ!!おい....)

ショックが強すぎた
物体と有体の組み合わせが絵的に既存の想像を絶していた
おそるおそる話しかけると低い博学的な声で答えてくれる
「日本人か?日本人と話すのは初めてだ」

「こちらこそ」

唐突なタイミングだが記念写真を頼んだ。少し迷った様に見えた彼だがそれに応じてくれる
ゲストハウスのスタッフがシャッターを押す
彼は何故か少し背伸びをしシャッターに収まった

これが後にブラザーとなり一緒に生活することになるマサイ族の雄

miyereとの出会いだった







南アフリカ、黒人は9つ程の部族に起源を持ちそれぞれに言葉を有する

民族衣装は歴史的な祭日に着る事もあるがそれは僕らが花火があがる夏祭りに浴衣を着る感覚に近い。ちょん髷に刀のお侍はどこにもおらず僕らは電車に揺られ会社に出勤する
彼らの多くも近代的な服装や生活様式を好み取り入れ生活する。踏みにじられ奪われ搾取され続ける歴史があり日々が流れ世界と僕らは西暦2010を迎えた
彼らの方がより新しい物に敏感で憧れている
考えてみれば当たり前だ。僕らが当たり前に手に入れているものは彼らからすればまだまだ夢の贅沢品でありその証拠に南アフリカのフォトグラファーは日本ではおよそ時代遅れなカメラを使い街のデジタルショップのプリンターだって随分とおじい様だ

TVはTVの伝えたいことを伝えているだけだ。イギリスかどこかの国が製作した北朝鮮のドキュメント番組を見ながらmiyereは僕に語る

僕たちも同じだ。アフリカと言って思い浮かぶのは荒野に掘っ立て小屋にボロをまとった人達。現状でも深刻な貧困を抱えた国や地域は確かに存在するがアフリカ黒人がフェラーリを運転しビーチに立ち並ぶ高級ホテルで食事を楽しむ。それも現在のアフリカの紛れもない事実の1部だ


翌日街の散策から戻るとmiyereは一人手作りのカレーを今まさに食べようとしていた
「hello my friend おなかはすいているか?」

「ああすいているよ」

「よかったらこれを分けないか?」

「ありがとう、でもこれはどう見ても1人分だし君が1人で食べな」

「食事をするタイミングでの来客、私たちの考えでは幸運の象徴だ。気にせず一緒にたべよう。もし君が望むなら」

彼の言っている象徴の話は気に入った
僕はありがたく食事を分けてもらうことにした


「マサイの村から来たんだろ?」

「yes、自分の知らない未知を知りたくて村を飛び出した。
 村から半年かけて歩きケープタウンにたどり着いた」

半年か。。。やはりもっている尺度、ものさしがまったく違う

「パスポートやクレジットカードは持っているのか?」

「no,あれは国が個人を認識し区別するために必要なものだ
クレジットカードにしてもそうだ。moneyは時に罠となり物事の順序を変えてしまう。牛や羊は緑の草を食べ白いミルクを出し赤い肉を与えてくれる。それに11匹いれば美しい女を持つことが出来るそこには嘘はない」

彼はカレーを食べる手を休め、人差し指を目頭に添えながら話す
長い黒い指
「国境どう超えてきたの?捕まらなかったの?」

「私は健康な足を二本神と両親から与えられた。自分の足で自分の行きたいところに行って何が悪い this is our world 」



this is our world......



先に鳥肌がたった

体が反応してから

ものすごい言葉の響きだ、世界の彩度が瞬間で変わった

そう感じずにはいられない



「国境では時に2~3日拘置所に閉じ込められることもあるが...」と、彼は付け加えた
アフリカ人はおおらかであり全体的にゆったりとした傾向がある
FIFAの警備スタッフだって同じだ
集中力を切らすことなく90分間の試合に監視の目を光らせることは不可能だ。
国境を警備する領事官でも同じ事だろう
「わかった、好きにその足で行きたいところへ行けばいい」 と。。

「今までどれくらいの国を旅して廻ったんだ?」

miyereが逆に質問する
「韓国、タイ、ラオス、メキシコ、アメリカの東海岸を南北に一往復」
ヨーロッパ、イタリアを家族で旅したことがある事は伝えなかった。
なにかがひっかかり言葉は尻窄んだ。
僕は続ける
ブラジルには死ぬまでに一度行ってみたい。憧れだ。

「ブラジルか、私は行ったことがある、自由で素敵な国だった。私は今ある運動を企画している
altimet work
約4ヵ月後 来る 2011年 1月 29日
ケープタウンをスタート地点とし歩いてエジプトカイロまで向かうものだ
いま時代、世界は間違った速さで進んでいる、一緒に歩を揃え語り合い、理解しながらお互いを知る必要があるんだ。各国から参加者募っている
よかったらお前はrepezen japanese として参加してみないか?きっと素晴らしい体験になる。」

repezen japan
マサイの男に突然日本代表に任命させられた
一匹のマサイの男miyere、キリンのような瞳を持つ男
後に知る事だが彼はなかなかの切れ者である
ある時、疑問に思い聞いたのだった

「パスポートもなくてどうやってブラジル入国したんだ?飛行機じゃなくて船で行ったのか?」

「意識を集中する、ご先祖様の導きを感じそのエネルギーを感じ意識を南米大陸に飛ばすんだ」



なかなかのキレモノ

僕たちは仲良くなった
旅はますます深まってきた








A true story by sotaro ohdake
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