今日は
運、とタイミング、年齢などにまつわるエントリーです
現時点での文章の着地点は分かりませんが、書いてみることにします

一説によると夜中に書いた手紙や文章は感覚的に振れている
酔っている傾向があり
すぐに相手に送るのは控えた方がいい、とあります

が、僕は夜中に感じた事(モノ、文章や感覚)が大好きです
夜中は周囲が寝静まり、また暗く
集中しやすい、没頭しやすい
ある部分では
感覚的、感情的になる事が好きだし感じやすいし
本音に近いのでは?という見解で、
また
そういう人、そういう人の作品が好きだったりします
そんな真夜中の感覚を、ロマンチックとジャンル分けする人もいます
(こないだから、ロマンチックって日本語に書くと違和感を感じてます
 ロマンティックのがいいのかな。ティックもな~~

エニウェイ

早起きして、体を温め、食事をとり
場合によっては走ったり体を鍛え文章を書く事に努める作家さんもいます
そうして規則正しく、ペンを持つ手が疲れるまで
夕方まで机や作品に向かい合うそうです

今の僕の場合
昨夜は22時頃に眠り
24時頃に眠りから醒め
夜中中、本を読み(それは小説ではなく、社会学者の書いた新書
今に至り、電気は消した、けれども明るい部屋から書いています

これは、夜中のぶっとんだ感覚なのか?早起きの健全な感覚なのか?
まあ、どちらでもよしとしましょう



さて、本題

最近
このタイミングで出会いたかった人や作品に出会う事が多く
運がいいな~と感じたりしていて

例えば僕は、経済や投資、株に関しての知識は皆無で
そういった分野、業界から世界を眺める事は出来ません
アフリカを旅し、また現地で生活し、再度アフリカに戻るのですが
必要な要素ではあるのに、(あると認識したが
今更、大学に入れるわけでもなく
経済書を読んでもチンプンカンプン

そんな時、出会ったのが、というか再会したのが
同じ年の証券会社の女の子でした
今は彼女のレクチャーのもと赤子のように経済のケの字を学んでいます

30歳という年齢に
20代後半から内心年を取る事にびびっていましたが
なってみるとプレッシャーから解放されました
また異業種の走ってる同世代の人間と知り合うと
お、俺ら世代、イコールこのタイミング
なんか出来るんじゃない?と思ったりします
(そこには小6までしか学校に通ってないトップSEや
高校中退の有名企業に勤める者もいます)

そーゆー意味では
30歳という年齢は若く
また社会的にも出来る事が大人の領域に近くなり
会社などでも決定権が与えられ
かつ、ヤンチャもできる
いい年齢なのでは?と思います


僕の場合
文学作品で言うと
19歳でノルエーの森に出会っても
世界は混沌と迷いを増幅させ、3ヶ月以上、物語の世界から戻って来れない
最悪の船酔いを経験しましたが
28歳でアフリカから帰国直後に村上春樹の処女作
風の歌を聴け
遠藤周作 垣根涼介などに
出会えた事は幸運でした

味覚で言うと
17でメキシコを旅した時
ハバネロと思われる青唐辛子を屋台で丸かじりすると
体中の穴と言う穴から汗やヨダレ、鼻水等の液体が止まらず
屋台で一緒したメキシコ人一同に笑われる始末
しかし、その後テキーラを飲み
辛味と酒に強くなれたのは大きな副産物でした

体力で言うと
衰えを感じランニングを開始


労働的な拘束時間で言うと
比較的自由な時間を持ち
自分と性欲を失わずにいます

そういう意味では、幸運でした


ここで言いたかった運とは
運び、や、流れ、の様なモノ
けれど、
自分で選択し、周りに与えられたモノだと自覚しています


運命や必然を受け入れる、または信じるつもりは
毛頭ありません


タイミングも
今、最高なタイミング
そん時は辛かったけど後に
良かったな、と肯定出来るタイミング
二分化出来るけど

これからも両方、ドンと来いです

何の話だ?って??


思った事を意識して書く事で文章スキルをあげたい
日々の出来事を忘れたくない
自分を理解してほしい
的な実験の、
ごちゃ混ぜ丼ブリです

運命なんて言うな
当然の顔すんな

大好きな歌詞の一節を拝借(運命船サラバ号出発 より)

勇気は生まれ持ったかモノか否か

健全な精神は健全な肉体に宿るのか

音楽、女の子、女の子が大好物な恋愛にまつわるエントリーはまた別の機会にて

fin