すでに、発売されてから大分日にちがたっているが、スティーブジョブスの生前の様子を克明に記した本を読んでいる。

先輩から、これは絶対に読むべきと言われて、ようやく手にした。

2巻目の途中からアップル社の経営の様子が出てくる。何気なく?ジョブスがコメントする。”これは世界にとって、必要なサービスだよ。”、と。

被災地にいた時、先輩から言われたことでもあり、自分自身も業務を通じて痛感したが、小さな組織であっても、大きな組織であればなおのこと、自分たちが今までやってきた経験、業務をみたいな、枠を設定しがちであり、その枠というものをなかなか乗り越えられない。

いろいろな事情が組織にはある。しかし、クライアントは組織の事情にはかまっていられない。DEAD OR LIVEの被災地の業務では、なおのことだった。

しかし、そのような状況でも、人は枠を設定して、これは自分たちの仕事、領分、これは自分達ではない、という区分をしてしまうことも、ままある。

ジョブスのこのメッセージは、ただただ愚直に、世界の人びとというクライアントと、真摯に、愚直に向き合っているからこそ、出てくる言葉なのではないかと、考えさせられた。




iPhoneからの投稿
先日、僕がせんだいみやぎNPOセンターに出向していた時の同僚が、被災地の支援ということで現地に入ってくる地域外の人が、現場を見ずに、世の中で議論されているようなカタカナ言葉を用いて、現場が混乱しているというFacebookのコメントがあった。

その課題は、被災地だけではなく、途上国においても、国際会議においても存在すると感じた。

先日、仙台で開催されたTED✖SENDAIというイベントに参加した。これは、TEDという欧米にて始められたもので、テクノロジーを活用して、コミュニティや途上国で直面する課題に向き合う、その可能性をプレゼンテーションするものである。個人的には 面白い試みだと思う。ただ、不思議に思ったのは、会場に地元のかたと思われるような人が、あまりいなかったことである。

被災地には、依然として、多くの課題がある。その課題に対して、どのようにテクノロジーを活用していけるか。これは重要な命題である。しかし、テクノロジーというのは、現地に適用し、さらに、それを現場の住民が日常生活において、利用されて初めて、その目的が達成されるのだと思う。

世の中の議論として、すごい技術が開発された!この課題は、こういうふうに解決すべきといった、ことを指摘することは多くあるが、ではどうやって?第一ステップは?誰とやるの?といった具体的な内容は、あまり議論されず、さも、テクノロジーもしくは、論理的な解決策が見出せたら、後は自動的に問題は解決されていくといった、手放しにしてしまうことがままあるような気がする。

これだけ情報があふれるような社会になり、正直、何が正解かを見つけることは、誰でもできる時代なのかなと感じる。むしろ、その情報を組み合わせて、課題解決に漕ぎ着けさせる力が、社会で必要とされてるのではないだろうか?



iPhoneからの投稿
日本では、中国、韓国といった隣国、米国といった強国の脅威論よく議論される。今日の日経新聞で、米国の識者がTPPについて、意見を述べていて、その中で、日本では米国の脅威論があるが、米国政府にそんな能力はないとあっさり否定していた。

もちろん、戦略的に、国として自国の優位な方向にもっていきたいという考えは、米国のみならず、中国や韓国も持っていると思うが、脅威論が言うような日本を落とし込める様な余裕のある国は、外部環境が激しく変化する現代において、どこもないのではないだろうか?

韓国では、年末に大統領選挙、中国では、もうすぐ政治のトップが交代になる中、どこの国も国内の政治状況をどのようにまとめるかに汲々としているのが、現実なのでは?

ただ、不思議なのが、日本でいう脅威論が起きると、議論の中で、日本は狙われている、このままではまずいということばかりが議論の中心になる思考停止状態が発生して、実際のところどうなんだろうと、その場に踏みとどまって、その現実を見つめるといったことが、あまり行われなくなることに問題意識を感じる。本当にそれでいいんでしょうか?