心に写っているのは、五感や言語による刺激が創るイメージです。

そのイメージに写し出されているのは外界や体内感覚や言語の意味による連想で、知覚などの対象となるモノ、そのものではなく、私が用いるセンサーの特質に私の解釈を加えて作り上げた心象でしかありません。

 

しかも、そうした心に浮かぶモノこそが私自身で、世界で時間で、総てで、これを意識と云います。

 

一般には、私と私を含まない世界とは自他と云う様に区別されます。

でも、その心に浮かぶイメージが私の生きているということで、それを意識と云います。

私は心と云う鏡のようなものに写るイメージを見ています。

勿論、写っているのも私自身のです。

その時のごく一部ですが・・・。

 

つまり、私を含む世界は私の心の中に写るモノ、意識でしかなく、私が死ねば虚無になってしまいます。

 

と云う事は、自も他も区別は元から無いのです。

 

さて、ここからが本題です。

他者を大切にすると、それが自分にとってもどんどん大切になってきます。

他者を大切にして幸せになってくれば、その他者とは私の心の事であり、私も幸せになってきます。

 

取り留めもなく欲を大きくして幸せになろうとすれば、もっと大きくもっと広く他者を大切にして幸せにすれば好いんです。

 

これを大欲、大悟と云い、自己犠牲の愛ではなく、自分のため、他人のではなく、単に生きると云う事です。