ヒトの潜在意識は顕在意識から造られています。

つまりは、顕在意識からまるで念じ続けるかのように入力すれば、潜在意識は変えられます。

 

まあ、宗教では心に染み込ませたいことをお経として日課にする訳です。

でも、意味の分からないことは何度唱えても、まあ無駄ですね。

 

さて、書写の場合は、お手本を好く見て、一字の中の点や画の位置バランス構築し、しかも筆圧で線の強弱も表現します。

息遣いに注意して、筆の穂先が紙に触れた感触を感じてから、筆を運びます。

縦線を書く時には、穂先はつぶれて横一線になります。

それで、太線が描かれます。

そのままの筆先で横線を書くと、つぶれて横一線になった穂先で細い線が自然に書けます。

その両方を組み合わせたのが払いです。

払いの初めは縦からなので太い線が描かれ、緩やかに横線へと移行していくので、次第に細線になっていきます。

 

弓道の引き分けと似ています。

引き分け(大三から)の初めは弓力は弱いはずですが、両の手の内が肩線から離れているので大きな力を要します。

しかし、引き分けが深まるにつれて、弓力は大きくなっても弓が肩線に近付いてくるので楽になります。

そして、引き尺が最も大きい会になるとほぼ肩線に弓を支えるので、楽に弓を張り詰めていられます。

まるで、書写の払いですね。

そのおしまいは、穂先の毛の一本先で優しく紙を離れます。

この時、息は細ーく、そして、穂先が離れたら・・・気が付けば、息を引き取っていました。

 

書き始めは、その画のエネルギーに合わせて息を吐き始めて、次にその息にのせて穂先を紙にのせていきます。

横書きから縦書きに変化する時や止の場合は、一時、腹で息が止まって筆も止まります。

まるで弓道の息遣いと同様です。

 

極細の筆先で、細い線の中にも強弱を表現して写経するには、微かな筆圧の中で安定と強弱の変化を求められます。

そうした感覚を身に付けられれば、弓道の離れの軽妙さなど容易いものです。