義務教育は中学だけど、高校卒なら普通教育を修了と云えるんでしょうか。

そんな人たちの6・7割の人が理解や認識している知識が常識なんでしょう。

まあ、正規分布で標準偏差の内部にある確率ですね。

 

それじゃ、非常識ってどうなんでしょうか。

常識が無いのは無常識ですから、常識以外の知識や認識が非常識です。

もちろん、その内部には卓見とか、良識なども含まれます。

一般に、非常識とラベルを張られる人は常識を知らないのでしょうか。

それは、個別の事なので、決定的なことは言えません。

しかし、誰にだって未曾有を「みぞゆう」だと誤解しているようなことは少なからず有る筈です。

 

そんな場面に出会ったら、多くの人が分かっている、つまり、分かりやすい事なんだから、話してやればいいんです。

 

非常識の方は、専門的な研究や特異な体験などをして得られるものですから、一般的な常識家の考えの及ばないものです。

しかし、集団的には少数派でもその人たちへの配慮や非常識への理解が必要ですね。

 

家でも学校でも職場でもサークルでも公共団体でも、人が集まれば、そこには政治が発生します。

我が国の国体は民主主義であり、自由主義国家です。

しかし、よく観ると、自由な相互評価による自由な相互選択という市場原理が十分に機能している集団はなかなか見つけられません。

上下関係や暗黙の縛りが存在していますね。

 

空気を読むとか、忖度するとか、慣例だとか、黙っていた方が利口に思われるとか、こう云うのが常識の最右翼です。

 

さて、皆さん、非常識を養う事こそ、道(タオ)としての、正しく武道なんです。

何故なら、道は己が一人歩んだ後に出来るからです。

いつまで経っても誰かの教えに着いて行くのは、ただ舗装道路を歩いているだけで、武道の歩みじゃないのかも、なんてね。