恐竜が全盛期を過ごしていた時、私たちの先祖は小型の哺乳類で、多くは森などに住み夜行性の暮らしをしていました。

そのせいか、視覚よりも嗅覚の方が発達していて、美味しい匂いに惹かれて暗闇の中を行動していました。

 

お花なんかも食べましたし、熟した果実なんかは最高のご馳走でした。

香りを嗅ぐ表情、鼻腔を開いて口角が上がります。

これは微笑みの表情ですが、空腹を満たす美味しいご馳走に、うっとりとするのです。

これこそ、私の専門分野、快感を予想する快感なんです。

 

実際に森の中にある香りの主を食す時の喜びより、これから食すであろうとその事を想像する事の方が大きな興奮があるのですね。

これこそ、人の大脳皮質が発達したことで起こる賜物なのです。

 

人の種の保存に関わる恋という現象も、想像力による感動の最大値を知覚させるのです。

まあ、一種の脳内覚せい剤です。

恋こそ、快感を予想する快感の最たるものですね。

 

やがて、森の中を美味しい香りに誘われて、目当ての物にたどり着きます。

そして、食べ始めると、想像からリアルな知覚に切り替わります。

このリアルな感動こそ、人の種の保存に関しては、愛と言えるのではないでしょうか。

 

このように、実際に果実を食す快感より、その食す快感を想像した事による快感の方が大きいのです。

こうした現象は、色んな応用が考えられますね。

例えば、作家さんの場合、物語で喜怒哀楽や恐怖の表現をする時に、詳しく記述するよりは、そうした情景の方向性だけを示して、後は読者に果てしなく想像させるんです。

そうすれば、読者は各自の想像できる最大限の状況まで想像を広げ深めます。

 

つまり、読者にとって最も感動深い表現が読者自身によって完成され、それが作家のお手柄となります。

 

また、営業で言えば、物を売る時、リアルにその物の効用を説明するよりも、その物を購入して変わる生活を想像させるのです。

人には、中途半端ではなく、最善や最悪な状況を想像する性質があるので、もし最善を想像させることが合出来れば、借金をしてでも購入したくなります。

 

もし、物ではなく、例えば保険の様なものへの加入を勧める時であれば、セールスが事故など万が一の場合を詳しく説明するのではなく、加入の対象者に最悪の状況と保険に加入していた事による最善の状況をしっかりと想像させるのです。

それが出来れば、ほぼ契約はいただけますね。

 

人は感動を求めて生きています。

だから、感動こそ、人の行動原理なんです。

 

まあ、これが若い時から現象学をやってきた不言流の中心テーマですね。