完成と云う程度の手の内を得ると云う事は、まず弓の入木の状態を適度に保ち、手の内の捻りを決める大三と会の弓手位置を決め、馬手の捻りも暴発しない程度に軽く設定すると云う前提条件が必要なんです。
これらの調整が不出来だったり、射毎に変化したりすると、どんなに良い手の内に見えても、良い結果は得られません。
もし、弓道を国に例えるならば、手の内は王様です。
王様だけが好くても、国は好くなりません。
馬手の王妃様が陰で王様を支え、有能で忠実な臣下が王様の趣旨に添い民の為に働かなければなりません。
つまり、良い手の内とは、手の内と調和して安定している他の部分が有って、初めて言えることなのです。
不言流がいつも言って来た射の統合性が手の内に集約されている様に感じます。
今日は雨模様です。
雨の合間に、10射ほど引きました。
それから、20射ほど引きました。
巻藁ですが、筈打ちしない様に、2本ずつ引いています。
これで、矢数が稼げます。
今日は本当の矢飛びじゃないです。
矢所は余り狂いませんが・・・。
