射法は形・かたに溶かした工夫の連鎖です。
この意味がしっかり解らないと、やってはいけない事の分別がつきません。

だから、離れは一気に離すのではなく、惜しむように離れて行くんです。
鉄棒にぶら下がっていて、落ちたくないれけど、あー落ちちゃった。
これをしっかりとした台の上でやると、心身共に安定して弛まずに離れます。

他愛の無い自然な離れです。
そして、ひとつの完成形です。

なぜ、会は持ち続けるのか。
人はただ生きていれば命を感ずるのではなく、必死になってこそ命を自覚し、その儚さと大事さとを共に感じるのです。
会とは正にそうした時なのです。
そして、会は自己と対峙する契機をよく与えてくれるものです。