いつだったか、連盟から意見を求められた時に、いろいろと書き、その中に射術の研究事業を提案した。


というのも、所々に誤った射の在り様が有り、誤った射術の流布が行われているからだ。

不言流は9年目になるが、的紙破りに興ずることを自ら禁じ、ひとえに射の在り様と在るべき射の有り様を訪ねてきた。


ところが、今になって気付いたのは、弓界をリードしていく射手達の凡射・愚射が礼に則って正射の体を現しているとか。

弓道具の業者も、その殆どが狂いを狂いで矯正する様な道具しか作っていない。



正法流だったか、巻藁で狙いより右上に1寸外れるを良しとするとあったかなぁ。

確かに、大多数の凡射の射手が、そうした射法に合わせて作られた稚拙な道具で射れば、1寸外れるのが在るべき姿だね。



しかし、古人、不言流も、そうした中でも、工夫を重ねて正射に至った者は連綿と存して来た様に思う。


宗教者はご神体や教義を無条件に信ずるものだ。


哲学者は現象を疑い、他者を疑い、自己をも疑うところからスタートする。

そして、疑っても疑っても、疑いきれぬものを真実の候補とする。


こうした懐疑心と慎重さと厳密性をもって射術に向き合う時が来ているのではないだろうか。

2・3/100(秒)という刹那の時間も、現在では高速度映像装置などを用いれば、離れの一部始終を明らかに出来るのではなかろうか。


ただ、連盟の現状だと、早気だったり、ビクだったり、緩みだったり、前離れだったり、大離れだったりと、初心者の域を越える射技は見当たらないし、求道の志高き者も見受けない。


生きている内に、正射を体験してみたいとは、誰も思わないのかなぁ。