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私が7歳の時、母が再婚しました。

このくらいの年齢になるとやっぱり「遠慮」というのがあって、私はあまりやりたいこと、やりたくないことを口に出せない子でした。

たった一度だけ、どうしてもやりたい事ができました。

私の学校は冬はスピードスケートがあたり前に行われ、学校の授業でも当然スピードスケート。同好会、部活もスピードスケートでした。


高校1年生。
私は田舎から少しだけ、都会の学校に通いました。汽車通で、朝早く家を出て帰りも最終の汽車に乗らなくてはなりませんので部活なんてできませんでした。


でも、そこでアイスホッケーというスポーツを知ったのです。
ぶつかり合う激しさ、パックを追いかけるスピード、シュートが決まった瞬間、体が宙に浮いてる感じがするくらい興奮したのです。
こんなにすごいスポーツがあるんだと。
クラスの男の子にすごいね!すごいね!って言ってたら、今、マネージャーいないから、そんなに好きならマネージャーをやらないか?って誘われたの。
もちろん、気持ちは100パーセントやりたい!
でも、それをやるには汽車通ではできない。下宿をしなくてはならなかったのです。


でも、どうしても、やりたい気持ちはおさまらなかった。
お母さんにはすぐに言えたけど、お母さんもあまりそのスポーツを知らなくて、ましては野蛮!女の子が男の子の中に入ってお世話するなんて!って反対。
自分でお父さんに言いなさいね!って。

お父さんに…言う…
今まで、やりたい事もやめたい事も言えなかったのに…言えるのだろうか…


1週間かかった…声にするまで。

声にしてはみたものの、やっぱり反対だったけど、声にした私の思いはもう引っ込みがつかなくなっていた。


半ば諦めたように、勘当するかのように私を下宿に送りだした両親。
それまで一言も口をきいてもらえなかった。


下宿に荷物を入れて、両親が帰る時…
お父さんがいつも大切にしていたドライバーを私にくれたの。
それで…言葉がなくても…親の思いを感じて、あとから一人で泣きじゃくりました。


怖かったお父さん。そのあとももちろん怖かったけど、でも、あの時、必死に声にしたことは私を勇気づけてくれた。


マネージャーの仕事もね、夜遅くまで大変だったし、下宿するのは自分でお小遣いを稼ぐ事が条件だったから、アルバイトしながらは時々寝不足にもなったけど、アイスホッケーの痺れる感覚は薬のように  笑
夢中にしてくれました。


経費の関係でマネージャーが廃止され2年もできなかったけど、でも、大人になった今もアイスホッケーには携わり、アナウンスをしたり、海外の遠征のお手伝いをしたり。そこでもたくさんの素晴らしい出会いと気づきがあります。

時々ね、アイスホッケー選手が好きだと勘違いされますが、私は本当に純粋に学生時代に心動かされた者であります。



勇気を持って、やりたいこと。
やってみたいこと。声に出すのもいいですね。
そして、子供たちにもたくさん声を出すことを教えました。
ダメなときはダメって言うけれど、貫き通すのが必要だったり、あとから良かったって思う時があるかもしれないものね。


声を出すことって大切だと思うのです。
初めて会った人に声をかける。
わからなことを聴くのに声をだす。
こんな考えを持ってるという事を声にだして言う。

勇気を出して声にする。
今もそんなときには、あの頃を思い出すのです。


余談ですが…
今。お父さんお母さんと二世帯で住んでる私。この家に来るときまで、あのドライバーはちゃんと持っていました…