私のとても料理好きな友人が、満足したものが出来上がったときに、料理の神様が降りてきた。と表現して、聞いている私は!?となって後に会話は続きません。、そんな表現する友人は何も考えずに、手が勝手に動くみたいとさらに加えて言います。

手が勝手に動いて何かをなすことは、私の知る限りでは、天理教の創始者、中山みきの「おふでさき」や岡本天明の日月神示(ひつきしんじ、ひつくしんじ)は神、霊が中山みきや岡本天明の手を勝手に動かして神、霊の思いを書かせたものであるようですし、同じようなことは、たくさん存在しているようです。

人の体に乗り移る憑依もそうかなと思います。

モーツアルトが短い生涯に800曲を超える作曲をしたのは、彼自身の才能ではなくて、まさに音楽の神様が降りてこられて作らせたのだと、でなければ、とてもそんな多くの作品を作るのは無理だということを、何時だったかTV番組の中で評論家が言っていたことを思い出します。

昨日、映画「奇跡がくれた数式」という、インドの名もない事務員が独学で数学の公式を発見。それは世界を変える奇跡であり、そのインド人数学者とイギリス人数学者の間の協力と友情。主人公実在する数学者でラマジャンで、その評価はアインシュタインと並ぶ天才だそうです。

数学のことは全然わかりませんが、この映画で、ラマジャンにどうして、これを見つけたの?との質問に、彼は「神が教えてくれた。」と答えます。また、それは「絵のように美しい」と言います。私には絵のように美しくは見えませんが、ラマジャンにはそう見えていることの中に、真実があるのでしょう。

今、スピリチュアルが、一般の人達に受け入れられやすくなってきていますが、悪の側と善の側の両方があります。例えば、この映画のように、彼の発見した公式は「絵のように美しい」とかれに言わしめたように、へつらうことのない気高さを持っているものや作品、或いは、その伝えられたことが、たとえて言えば、イエスキリストが本来、奴隷の仕事である弟子たちの足を洗ったような行為は、善の側からであるのでしょうが、

高額な金額と引き換えに病気直しをする。脅しをちらつかせながらの救いはきっと悪の側の行為と判断してよいのかなと、そんなことを考えながらこの映画を観ました。