今、大阪松竹座で上演中の、市川染五郎、中村勘九郎、中村七の助の「歌舞伎ネクスト_阿弖流為_」を観てきました。物語は
蝦夷征伐を命ぜられた坂上田村麻呂、蝦夷の若い主長、 阿弖流為は、敵味方を超え、誠の勇士のみが持つ清さと強さ認め合うようになります。戦いは田村麻呂側の勝利。しかし彼は阿弖流為と一族の助命を朝廷に嘆願しますが、かなわず処刑されてしまいます。
平安時代の悲劇に終わる物語は、歌舞伎と言うより、実写のアニメと言う感じでした。
若い俳優達が、普段は見られない、二本の花道を使い、駆け巡り、駆け周り、戦い場面の連続でした。ストーリーは単純。
歌舞伎というと、年配の観客という観念を打ち破り、一緒だった年若いお嬢さんがすっかり楽しんで居ました。
最後は観客が手に手に青く光るライトを振りながら、舞台と一緒になり、私には初めての経験ー歌舞伎でのスタンディング・オベーション”
何にしても楽しい秋の一夜でした。
阿弖流為の碑をどこかで見たことがあるとの記憶が、坂上田村麻呂が建立した、京都、清水寺であったことをやっと思い出しました。その時は、どうして此所にこの碑があるのだろうと、阿弖流為の事をしらずに、思っていましたが、舞台を観、歴史の関わりにやっと納得しました。
石碑に刻まれているのは、現在の岩手県奥州市地域を本拠地とした蝦夷(えみし)の首長・阿弖流為(アテルイ)と母禮(モレ)の名前です。二人は平安朝廷の東北平定政策に対して勇敢に戦いましたが、郷土の犠牲に心を痛め、征夷大将軍・坂上田村麻呂公の軍門に下りました。将軍は両雄の武勇、器量を惜しみ朝廷に助命嘆願しましたが、許されず処刑されてしまいました。石碑は、平安建都1200年を期して1994(平成6)年に有志により建立されました。


