一日、48キロの道を一日も休まず、1000日間歩く。しかもその道は、平坦では無く、危険が其処此処にある道。1000日間歩き通すこと以外は失敗とされ、命を自ら捨てなければならないという過酷な修行、その最後は、9日間の”断食、断水、断眠”自ら死を身近に感じると言います。そんな修行の後に与えられる称号”大阿闍梨”の語られる姿も声も、話の内容も素晴らしく感動的です。

私達の国の基礎を支えて下さっている方々が確かにおられる。と感じるのは、懸命に平和を祈る事に命を捧げることが出来る方がいる事の強さです。「至誠 天に通ず(まごころをもって接すれば、それは天まで通じて、必ず人を動かすものだ。孟子」と言う言葉が浮かんできました。

この国のおもてにいる人達は、自分たちが、国を動かしていると思っておられるのでしょうが、本当に支え、祈っている人達は、表に出ることはまれであっても、そんな人達、1,300年間で成功者はわずか2人。その過酷な修行の2人目の達成者となったのが慈眼寺住職である塩沼亮潤氏のような方々であろうと私は思います。