一昔前、アメリカの観光客は世界のあらゆる場所を我が物顔で闊歩していた。所が9・11以後、彼らはテロリストの顔を避けて旅をしなければならなくなった。うっかりイスラーム圏などの足を踏み入れたら、どんな扱いを受けるかわからない。アジアのリゾートでも肩身が狭い。今なら中国観光の方が安全かもしれない。しかし、アメリカ人が世界で一番(本国以上に)安全に旅行できるのは日本である。
中国のニューリッチたちで銀座や各地の温泉やスキー場がにぎわっている。嫌中気分が募っていても、日本人は外来のお客様にはとりあえず笑顔を向け、いきなりチベット問題で議論を吹っかけたりはしない。オリンピック問題(チベット騒乱を武力鎮圧した中国に対して、北京五輪の聖火リレーへの抗議活動が世界で起きた)でナーバスになっている中国人にとっても今の日本はそれほど居心地は悪くないはずだ。
ムスリムもそうだ。アメリカやヨーロッパではかなりの緊張を強いられるだろう彼らも、日本ならその必要はない。日本人にはもともとイスラームへのアレルギーがない。法務大臣(鳩山邦夫氏)が「友人の友人はアルカイダ」と発言しても失職しないで済む、おそらく世界で唯一の国である。
日本は今、世界中の誰にとっても安全で快適な「逃れの国」という評価を得つつある。わが国のこの例外的なセキュリティーこそ、私たちが国際社会に誇ることの出来る数少ない外交源であると私は思っている。これでいきませんか?(2008年5月12日) 内田 樹 著「内田樹の大市民講座」より
ついこの間までは、この著者が書いていることが現実でありました。それが、今年に入って、日本人はテロを恐れなければ為らない国に急変しました。
それでいて、私たちは、ムスリムの人達に会うことはごくごくまれです。具体的には何も知りません。本当は、キリスト教も、イスラム教も、ユダヤ教も知ることなく、大部分の日本人は仏教徒、あるいは神道の族と思っています。そんな私達が、はっきりとそれらの国の人たちを敵だ味方だとは思いようが有りません。
「草木国土悉皆成仏」 この世のすべてのものは仏になる(涅槃経より)という言葉を素直に信じることの出来る、神道でもすべてのものに魂があると信じてきた国なのですから。
内田樹先生の著書にあるように、それが素晴らしい外交の源であるということならば、昨日今日で壊してしまうことはいかにももったいなく、愚の骨頂だと思います。
アフガニスタンで、医者でクリスチャンであるにもかかわらず、ムスリムの人たちの中で戦争で荒れた国土に黙々と井戸を掘り、運河を開削し食べるものを自ら生産することのために働いておられる、そんな先生は、バックボーンである日本が内田樹先生の言われる国だからこそ続けてこられたのだと思います。
ムスリムの国、パキスタンで、現地の人たちが世界に向かって羽ばたけるよう、バッグを作る仕事をしておられる、マザーハウスの山口絵理子さんも日本人であることが信頼される基本になっているのだと思うのですが、その基盤が今年から変わってしまうのでしょうか?
そんなことが現実にならないように願っています。
