汲み上げ湯葉が届きました。


 豆乳の温度がそれほど上がっていないときに汲み上げるので、汲み上げ湯葉。


 トローっとした感じの普通の湯葉のように形がはっきりしていない湯葉です。


 醤油、わさびのたれをつけたお刺身風。一部は、梅肉で。


 夏の暑い日の最高に心地よい食べ物でした。

 入道雲が盛大に大きくなっていた日でした。


入道雲


今日は長崎の原爆記念日。


植草一秀の『知られざる真実』 よりお借りしました。

長崎原爆に被曝しながら、死の寸前まで被曝者の救済に尽力した人がい

る。
長崎医科大学(現・長崎大学医学部)の永井隆博士

爆心地から700メートルの距離にある長崎医大の診察室にて被曝。右

側頭動脈切断という重傷を負いながら、布を頭に巻くだけで救護活動に

あたったとされる(WIKIPEDIA)。


その後も原爆障害の研究に献身的に取り組んだ。


長崎医科大学(現・長崎大学医学部)の永井隆博士である。


永井隆博士は二人の幼き子への遺言の書である『いとし子よ』に次のよ

うに記した。


「私たち日本国民は憲法において戦争をしないことに決めた。

わが子よ!


憲法で決めるだけなら、どんなことでも決められる。


憲法はその条文どおり実行しなければならぬから、日本人としてなかな

か難しいところがあるのだ。


どんなに難しくても、これは善い憲法だから、実行せねばならぬ。


自分が実行するだけでなく、これを破ろうとする力を防がねばならぬ。


これこそ、戦争の惨禍に目覚めたほんとうの日本人の声なのだよ。

しかし理屈はなんとでもつき、世論はどちらへでもなびくものである。


日本をめぐる国際情勢次第では、日本人の中から憲法を改めて、戦争放

棄の条項を削れ、と叫ぶ声が出ないとも限らない。


そしてその叫びがいかにも、もっともらしい理屈をつけて世論を日本再

武装に引きつけるかもしれない。


もしも日本が再武装するような事態になったら、そのときこそ…誠一(ま

こと)よ、カヤノよ、たとい最後の二人となっても、どんな罵りや暴力を

受けても、きっぱりと〝戦争絶対反対〟を叫び続け、叫び通しておくれ


たとい卑怯者とさげすまされ、裏切り者とたたかれても〝戦争絶対反対〟

の叫びを守っておくれ!

敵が攻め寄せたとき、武器がなかったら、みすみす皆殺しにされてしま

うではないか?――という人が多いだろう。


しかし、武器を持っている方が果たして生き残るであろうか?


武器を持たぬ無抵抗の者の方が生き残るであろうか?・・・


狼は鋭い牙を持っている。それだから人間に滅ぼされてしまった。


ところがハトは、何ひとつ武器を持っていない。


そして今に至るまで人間に愛されて、たくさん残って空を飛んでいる。

・・・


愛で身を固め、愛で国を固め、愛で人類が手を握ってこそ、平和で美し

い世界が生まれてくるのだよ。


いとし子よ。


敵も愛しなさい。愛し愛し愛しぬいて、こちらを憎むすきがないほど愛

しなさい。


愛すれば愛される。愛されたら、滅ぼされない。


愛の世界に敵はない。敵がなければ戦争も起らないのだよ。」


「理屈はなんとでもつき、世論はどちらへでもなびくものである。


日本をめぐる国際情勢次第では、日本人の中から憲法を改めて、戦争放

棄の条項を削れ、と叫ぶ声が出ないとも限らない。


そしてその叫びがいかにも、もっともらしい理屈をつけて世論を日本再

武装に引きつけるかもしれない。」


この言葉を永井隆博士は1949年に遺した。




ピアニストの辻井伸行さんが弾くリスト作曲「ラ・カンパネラ」 をyou tubeで聴きました。他の演奏も同時に聴いてみましたが、私には辻井さんの深く理解された演奏が一番でした。