昨日、cafeで新聞を見て、秘密保護法案が採決されたことを知りました。


 「秘密保護」の法案を成立。私には語れるほどの知識はありませんが、思い出すことがいくつかあります。


 20年以上前にある中国人から、「私が話したことは絶対に他に言わないでくれ、私が他の人に言ったことが他の人の口から広がると、そのニュースソースがどこから出たものであるかは調べればわかりますから」と言われました。内容は小説やドキュメントなどを読んで、すでに知っていることでしたが、「秘密」とは、自由が無いとはこんなことなんだと実際に経験したことです。


 中国で、気功の治療を受けたときに、気功法の運動のパンフレットに「秘」の判が捺されていて何で?こんなものが秘密になるのかしら?私には秘密にしなければならない理由がわかりませんでした。その秘密主義でもって価値を高めようとする”いやらしさ”に、「これが共産主義の成れの果て」と感じたことを思い出しました。


 アメリカの国会図書館の日本部門に勤めておられた古い友人、彼女は太平洋戦争が如何に仕組まれたものであるかを認識しておられましたが、「戦争が終わり、本当にほっとした。縛られていた不自由さから解放された」と言っていました。その後、留学し図書館に勤めておられたときにお会いした方ですが、第二次大戦中に青春を過ごされた方の言葉は強く心に残っています。


 今、上映中の「ハンナ・アーレント 」を見ました。ユダヤ人問題最終殲滅処理計画の中核部分を担ってきた元SS中佐アイヒマンの裁判の傍聴を通して、ユダヤ人で哲学者、ハンナ・アーレントが”アイヒマンはナチス権力機構の一環として、単に事務的な部分を分担していたに過ぎないと自己評価することによって、自分の犯してきた罪の大きさを新式できないで居る、平々凡々で陳腐な人間であったと。”と把握します。これは、傍聴記を掲載した雑誌を通し、大変な議論を呼びます。


 大きな問題が語られていますが、この映画を通して、今置かれているこの国のあり方を、過去の事象をも含めて、もっと論議を重ねた上で決めてほしいなと思いました。機会があれば観て頂きたいなと思った映画でした。


       
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