江戸時代の教育の考え方がどこかのブログに書かれいました。そのアドレスが解らないのですが、
以下のような物です。
寺子屋や講の教育の基本的考え方をあらわすこんな言葉があります。「三つ心、六つ躾、九つ言葉、十二文、十五理で末決まる」というものです。意味は、「三歳で素直な心を作り、六歳で節度ある振る舞いを覚えさせ、九歳で人様に聞かれても恥ずかしくないような正しい言葉を覚えさせ、十二歳できちんとした文章が書け、十五歳で道理(理屈)を理解することが人間教育の基本であり、これらのことを如何に理解し、実践出来るかによって、その子の将来は決定する」、というような意味です。読み、書き、算盤などの知育教育はもちろん、それ以上に人間教育に重点をおいていたわけです。今では死語になってしまった、躾教育とか修身教育とか道徳教育に重点をおいた教育をしていたわけです。
素晴らしい教育を受けていたのだなと思います。
親が、周りの人達が、素直な心を三歳迄に
ちゃんとした躾を六歳までに
正しい言葉を九歳までに
きちんとした文章書けるように十二歳までに
道理を理解することを十五歳までに、身につくように教え、導く。
こんな文章を見て、我が身を振り返ると恥ずかしくなります。
祖母や母のことを思い出しますと、彼女たちは、戦後の民主主義と言うことですっかり変わった教育制度に戸惑いながら、家庭では兎に角、自分たちの受けてきた躾や考え方を伝えていこうと努力したのではないかと思いますが、一方、私は学校の先生の仰ることと随分差があることで、反発し、楽な方へと流れていったなと思い返しています。良い面、悪い面共に。
食事作法といえるかどうか解りませんが、食事時に箸の使い方を厳しく直されました(左利きの私にはハードでしたし、今はそんな矯正はされないことが良いとされ、私も賛成ですが)。肘をお膳に乗せながら食べてはいけないこと。舐り(ねぶり)箸や渡し箸等は不作法。クチャクチャ音を立てて食べてはいけないこと。食事中に話をしない(今、禅寺以外では守られていません)勿論、正座で腰をたてて。(私は膝が悪くて出来ませんし、今は、大部分の家庭は机と椅子が食事の風景ですが)
未だ沢山あったと思います。
兎に角、親や周りの人達の注意は多岐にわたりました。朝から晩まで!
海外の様々な家庭でホームステイさせて頂いた時に、その家庭の伝統や躾が守られているのを見る機会が日常的にありました。と言うより、其れを{良いこととして」一緒に行動することが大切だと思って真似をしました。日本にいると気づかないことが、ホームステイをさせて頂いたことで、人々の受けてきた教育や考え方が、成人しても抜きがたく残っていて、他人を評価する上での判断材料になっているのでは無いかと言うことも知り得ました。
以下のような物です。
寺子屋や講の教育の基本的考え方をあらわすこんな言葉があります。「三つ心、六つ躾、九つ言葉、十二文、十五理で末決まる」というものです。意味は、「三歳で素直な心を作り、六歳で節度ある振る舞いを覚えさせ、九歳で人様に聞かれても恥ずかしくないような正しい言葉を覚えさせ、十二歳できちんとした文章が書け、十五歳で道理(理屈)を理解することが人間教育の基本であり、これらのことを如何に理解し、実践出来るかによって、その子の将来は決定する」、というような意味です。読み、書き、算盤などの知育教育はもちろん、それ以上に人間教育に重点をおいていたわけです。今では死語になってしまった、躾教育とか修身教育とか道徳教育に重点をおいた教育をしていたわけです。
素晴らしい教育を受けていたのだなと思います。
親が、周りの人達が、素直な心を三歳迄に
ちゃんとした躾を六歳までに
正しい言葉を九歳までに
きちんとした文章書けるように十二歳までに
道理を理解することを十五歳までに、身につくように教え、導く。
こんな文章を見て、我が身を振り返ると恥ずかしくなります。
祖母や母のことを思い出しますと、彼女たちは、戦後の民主主義と言うことですっかり変わった教育制度に戸惑いながら、家庭では兎に角、自分たちの受けてきた躾や考え方を伝えていこうと努力したのではないかと思いますが、一方、私は学校の先生の仰ることと随分差があることで、反発し、楽な方へと流れていったなと思い返しています。良い面、悪い面共に。
食事作法といえるかどうか解りませんが、食事時に箸の使い方を厳しく直されました(左利きの私にはハードでしたし、今はそんな矯正はされないことが良いとされ、私も賛成ですが)。肘をお膳に乗せながら食べてはいけないこと。舐り(ねぶり)箸や渡し箸等は不作法。クチャクチャ音を立てて食べてはいけないこと。食事中に話をしない(今、禅寺以外では守られていません)勿論、正座で腰をたてて。(私は膝が悪くて出来ませんし、今は、大部分の家庭は机と椅子が食事の風景ですが)
未だ沢山あったと思います。
兎に角、親や周りの人達の注意は多岐にわたりました。朝から晩まで!
海外の様々な家庭でホームステイさせて頂いた時に、その家庭の伝統や躾が守られているのを見る機会が日常的にありました。と言うより、其れを{良いこととして」一緒に行動することが大切だと思って真似をしました。日本にいると気づかないことが、ホームステイをさせて頂いたことで、人々の受けてきた教育や考え方が、成人しても抜きがたく残っていて、他人を評価する上での判断材料になっているのでは無いかと言うことも知り得ました。
