今朝、何十年ぶりかで、茶がゆを作って、朝食にしました。
祖父母が一緒に住んでいた頃、朝食は茶がゆでした。おかゆを炊くときに茶袋代わりに、ティーバッグにほうじ茶を鍋に。しばらくすると、茶の色がおかゆに移り。
毎朝dたべていたころは、茶がゆに、時にはサツマイモが入っていたり、かき餅を焼いて、食べる直前に砕いて入れたり(香ばしくって好きでした)鰹の削り節を入れて食べたり。そのときに出された副菜を適当にかゆに入れて食べることも、懐かしい思い出です。
梅干しは欠かせないものでした。
茶がゆにお漬け物、昨晩のお菜の残り。
育ちました大阪だけではなく、京都、奈良、和歌山でも昔はどちらの家でも食べていたのが、何時から廃れてしまったようです。
奈良公園の中にある、古くからの料亭に「茶がゆあります」と書いた布ののぼりがかかっています。
書いていると、奈良公園の早春の若い緑が萌え出た飛び火の野辺りから、春日大社や東大寺、興福寺の自然に所を歩きたくなっていきました。
祖父母が一緒に住んでいた頃、朝食は茶がゆでした。おかゆを炊くときに茶袋代わりに、ティーバッグにほうじ茶を鍋に。しばらくすると、茶の色がおかゆに移り。
毎朝dたべていたころは、茶がゆに、時にはサツマイモが入っていたり、かき餅を焼いて、食べる直前に砕いて入れたり(香ばしくって好きでした)鰹の削り節を入れて食べたり。そのときに出された副菜を適当にかゆに入れて食べることも、懐かしい思い出です。
梅干しは欠かせないものでした。
茶がゆにお漬け物、昨晩のお菜の残り。
育ちました大阪だけではなく、京都、奈良、和歌山でも昔はどちらの家でも食べていたのが、何時から廃れてしまったようです。
奈良公園の中にある、古くからの料亭に「茶がゆあります」と書いた布ののぼりがかかっています。
書いていると、奈良公園の早春の若い緑が萌え出た飛び火の野辺りから、春日大社や東大寺、興福寺の自然に所を歩きたくなっていきました。
