ご近所のお一人住まいのおばあさんにちょっとした物をお届けしたときに、「まあ、お茶でも」と招き入れられ、お茶をごちそうになりました。

 マンションの台所と一体型のリビングでしたが、なんとすっきりと片付けられていました。何時、誰が訪ねてもよいようにされていたのでしょうか。我が家の乱雑さ、恥ずかしく、これでは駄目だとしばらくは心がけましたが、元の木阿弥です。

 雑誌、”クーリエ・ジャポン”に米英の若者たちの間で”ミニマニズム”必要最小限の物しか持たないで生活することが注目され、関連する、サイトや本が出版されていると書かれていました。FACE bookの創始者、マーク・ザッカーバーグの関心の一つは”ミニマニズム”ということだそうで、彼らの親の世代が、上を目指してきたのとは違う価値観を求めようとしているのかと思います。

 日本の”断捨離”の動機はありすぎる物を処分しようというところから始まったように感じますが、それが生き方にまで反映していくかどうか、とても興味があります。

 持たないことを求めることにより、執着を捨てる。その生き方の反映が、禅寺を拝観すると感じることができます。

 白木の柱、真っ白の壁のコントラスト。客間といえども、掛け軸と生け花、座卓くらいで、他には何も飾られていません。

 そこは、全く素のままの、お掃除の行き届いた美しい場所です。