明けましておめでとうございます。
昨年のことと書いてしまいますと、それが遠くにあるように感じてしまいますが、全てが、今、明日、そして次へと持ち越されて、背中に重いものを背負わされている感じです。
私個人では、ひざに痛みは日に日に良くなっています。お陰様で、初詣に前から歩きたいと思っておりました、「巡礼街道」といわれる、花山法王が名づけたといわれている、一部、阪急電車、宝塚線沿線の”中山寺”から”売布神社””清荒神”。約4キロをぶらりと友人と二人で歩きながら、お参りさせていただきました。
中山寺や清荒神はたくさんのお参りでしたが、売布神社にはそんなに多くの参詣人はいませんで、拝殿横で焚き火に当たりながら、冷たい手を温めることができ、手水鉢で水で清め、焚き火での火による清めに、清清しさを味わいました。
路上、向こうから歩いてこられた方が、私達の背後に大きな虹が架かっているのを、教えてくださり、なんだか、「良いことがありそうな」という期待感が、心を暖めてくれました。
と言いましても、何事が起こるやも知れないという、世情安定しないときですが、せめて、どんなときも「平常心是道」という、言葉を忘れないようにありたいと願っている、年の始めです。
昨年のことと書いてしまいますと、それが遠くにあるように感じてしまいますが、全てが、今、明日、そして次へと持ち越されて、背中に重いものを背負わされている感じです。
私個人では、ひざに痛みは日に日に良くなっています。お陰様で、初詣に前から歩きたいと思っておりました、「巡礼街道」といわれる、花山法王が名づけたといわれている、一部、阪急電車、宝塚線沿線の”中山寺”から”売布神社””清荒神”。約4キロをぶらりと友人と二人で歩きながら、お参りさせていただきました。
中山寺や清荒神はたくさんのお参りでしたが、売布神社にはそんなに多くの参詣人はいませんで、拝殿横で焚き火に当たりながら、冷たい手を温めることができ、手水鉢で水で清め、焚き火での火による清めに、清清しさを味わいました。
路上、向こうから歩いてこられた方が、私達の背後に大きな虹が架かっているのを、教えてくださり、なんだか、「良いことがありそうな」という期待感が、心を暖めてくれました。
と言いましても、何事が起こるやも知れないという、世情安定しないときですが、せめて、どんなときも「平常心是道」という、言葉を忘れないようにありたいと願っている、年の始めです。
