悲しみと呆然とした何も手がつかない気持ちでの震災以来の何日間かを過ごしました。精神的にこんなに弱かったの?と自分に問いながら、今何ができるかと自分に問いながら。

 そんな中で、メールマガジンに被爆の恐ろしさに気づかされたり、このメールは大切だからと、関電に勤めているという方からの転送という、節電お願いチェーンメールに巻き込まれたりしながら、海外のニュースの翻訳されたものを読むと、日本の発表と大きく違うのに戸惑いましたが、けっきょくは海外のニュースのとおりことが運んでいるのに、政府に対する不信感も芽生えました。

 司馬遼太郎が何かで「日本は戦略の無い国だ」と述べていたのをことあるごとに思い起こしていますが、今回の地震、原発の事故に対してもそうであることをまざまざと見せ付けられています。

 そのような中、ホームステイしたカナダの知人からの安否を問うメールに励まされ、昨年とまっていただいたオランダ人から、「いつでもおいで」と言ってくれたりと、ありがたい、嬉しいメールでした。

 また、サイトの中の”play for Japan”心温まる嬉しいサイトでした。

 こんなことを考えています。

 私の世代より少し上の世代の第二次世界大戦中に都会に住んでいた小学生は多くは集団で田舎に学童疎開をしました。その多くは、さびしかった、都会っ子で言葉が違うといじめられたと語られたり、文章に残されたりしていますが、そうして、多くの子供たちが爆撃から逃れたのは、戦後の日本の繁栄に以下に貢献したことかと思います。

 私も都市生活者の例に漏れず、疎開をし、なれない田舎生活を送った記憶がかすかに残っています。

 今、放射能汚染から逃れるために、大人はいいとしても子供たちが、そのようなアイデアを生かして集団疎開、
山村留学、
などの方法を取れないものかなと思います。

 旧ソビエト連邦、今のウクライナの原子力発電の爆発によって多くの子供たちが、甲状腺がんにかかったことがまだ記憶に新しいです。

 今こそ日本の”save the childrenn”

 本来、優秀で素晴らしい精神性を持っている民族であるという日本人を劣化させないために。