友人のAさんから本が回ってきました。
白洲次郎、正子夫妻の娘さんが、両親のことについて書いた本です。Aさんが私に本を私に渡すとき、感想を少し述べながら渡してくれましたが、私が理解している正子像と少し違っているように思いました。
次郎と正子―娘が語る素顔の白洲家/牧山 桂子
Aさんの読後の感想:正子さんの骨董収集は若し彼女がお金持ちであったなら、もっと高価な物を買ったであろう。私は、そうではないように思っています。本の内容からも、正子さんの収集は、彼女の美的感覚を通して集められ、他人の目などは決して気にはしなかったのではないかと。
Aさんの関心は、正子さんに有りますから、白洲次郎の事については一言も感想を言いませんでした。
白洲次郎が兵庫県三田で有ることをこの本で初めて知りました。三田は私の住むところからはそんなに遠くなく、折りが有れば、墓所を訪ねてみたいと思います。
同じ本を読んでも、その受け取り方、感銘を受けたところが違って当然なのですが、時には、全く違うように理解してしまうことがあることにしばしばぶつかります。否、無理に解釈をねじ曲げることが実にしばしば行われて居ることも有るようです。
健康法に熱心な友人の薦めで購入しました。著者は、著者のいう呼吸法にの実践で、100歳を越えて元気であること。その呼吸法の内容を知りたくて購入しました。友人と私は同じ本を読んでいるのですが、細部の読み取り方が違っていて大笑いになりました。
日本語ですら、こんな事があるのですから、外国語となるともっと大変だろうと、翻訳することの難しさを想像してしまいます。評論などを読むとき、”翻訳の問題”ということが、しばしば目につきますから。出来れば、かなうことなら、原文で読むことに苦労しないだけの語学力を身につけたいと、ずっと願っているのですが・・・・

