食事の時に「いただきます」と手を合わせてから箸を取る事が、やっと私の習慣として復活しました。ずいぶん長い間そのことを省略していました。
そんな作法は、何も考えず、ただの過程の一部くらいのことでした。
が、少し考えさせることに出会いました。
上の写真は、水につけすぎた玄米がすこし臭ってきていましたので、ベランダの鉢の土に、肥料にと埋めたものが、芽を出した写真。新鮮な驚きです。腐ってなかったの?”玄米は土に蒔くと芽を出すけれど、白米はそうではない”言葉としては、知っていました。だけど、腐る寸前の水につけたお米を、土に埋めたら苗が出るということは、実際にそれを見るまで想像もしませんでした。”生きているものを食べる”玄米食関係の本などには大抵載せられている言葉です。
遠い親戚のおばあさんが、毎年自家用に作っている大豆を少し貰ってきました。料理に使おうと、水につけておいて、ふと見ると、芽が出ていました。何ともシュールな、そしてユーモアのある形に芽を出していましたので、写真に撮ってから、調理しました。
ペシャワール会の会報の中村哲先生の会報によれば、情勢は益々悪くなっていますが、最も重要な事態は、「今年の凶作」とのこと。今、必死の水路作りをされています。
世界中で、異常気象のため様々な変化が発生しています。そんな中で、「玄米が芽を出した」「大豆の芽が出た」というのは、あまりにも小さな事です。しかもなお大切なことと思っています

