裂織(さきおり)という言葉は、いまでは織物の興味のある人達に趣味として認識されているだけだと思いますが、昔の人々にとっては、「ものを大切に最後まで使い切る」手段でありました。


 そんな織物の展覧会が、京都 思文閣美術館で催されています。

 


ドンジャ(夜着) 田中忠三郎 蔵 ドンジャ(夜着)
http://www.shibunkaku.co.jp/artm/sakiori/


 展覧品は、東北地方の田中忠三郎氏コレクションと京都北部のものと、現代の作家達の作品でした。


 東北地方では木綿が栽培できず、麻が日常着、労働着でした。其れ等は、とことん最後まで使われ、弱ったところを補強し、パッチワークのようにあて布をしたり。入ってきた木綿は、麻に比べて暖かく、それは貴重なもので、麻布の着物に宛布のように重ね、刺繍のように刺す。究極が、コギン刺しでした。繊細な美しさが一枚一枚に残されていました。

 

 写真はそんな中から産まれた美しい、横糸に裂いた布を使った夜耆です。


 京都、丹後地方の裂き折りは、初期から木綿や絹が使われていたでしょうが、織り上がりの分厚さは、漁業を営む人達にとっては、重宝なものであったようで、お嫁に行くとき、袖無しの上着を必ず持参したと言うことです。


 家にあった、風呂敷一杯分の布がガラスケースに収まっていましたが、どんな小布も取っておくという中身でした。


 あまりにも時代を経た古さと、本当にぼろをつなぎ合わせたようなものもあり、来館者のグループのおばさん達の中から、見てて、身体がかゆーくなったように感じたと大きな声で言っておられたのが、時代の隔たりを感じさせられました。


 中に、面白いものを見つけました。中綿が蒲の穂を入れた小布団(20㎝角くらい)。それで、痛むところを撫でると痛みが取れると言います。コレって、おとぎ話の「因幡の白ウサギ」の話を想い出させます。大黒様が歩いていると、ウサギが怪我をして横たわっています。事情を聞くと、鮫を騙して向こう岸に渡ろうとしたウサギの企みがばれて、鮫に皮をむかれてしまった。と言う話です。蒲の効能は本当なのですね。


 裂織を見ていて、本当の優しさが伝わってきました。「もったいない」は生活の必要から出た精神でしょうが、それが、美しさにまで昇華した軌跡を堪能しました。