岐阜県東白川村の朝
思い立って、岐阜県に旅をしました。旅行シーズンではないこの季節。多分余り混んではいないだろうという予測通り、訪れる人の極々少ない、私には有り難いドライブでした。
1日目は、何も有名なものがない、敢えて言えば、鮎魚をする人達が来る東白川村で泊まりました、写真は、朝、窓を開けると、むこうに広がっている山の重なり、霧がその山を取り巻くように流れているのが、東山魁偉の描いた日本画のような趣、鳥のさえずりだけが聞こえてくる静かな朝でした。
全国での珍しい、仏教寺院が1軒も無い、住民の全てが神道の村です。明治の初め、廃仏毀釈の運動?の折にそうなったと聞きます。神棚のみで仏壇がないと言うのが、この辺りの標準的なスタイルです。
東白川を出て、昔の裏木曾街道をぬけ、高山、白川郷へ
飛騨、白川の合掌造り大きな茅葺きの家の形の何と美しいことかと、しばらく見とれていました。この辺りのお年寄りと少し話をすることが出来ました。の屋根は30年毎くらいに吹き替えるのでそうですが、昔、家々でいろりを炊いていた頃は、その煙が防虫、防腐の役目を果たしていたから5~60年年に1度でよかったとか、その代わり、煙たかったといっていました。
こんなに美しい国、こんなに素晴らしい家々がどんどん壊されていきます。私が住んでいる辺りは、日本でないような景色が広がっていて、そこには美しさや、落ち着きが感じられません。
古い民家は、少しづつ手を入れていかねばならないでしょうけれど、どっしりと100年以上の歳月を経てきて尚美しい姿を見せています。”ロハス”という言葉がはやっていますが、住まう住まいこそ、大切に磨き上げ継承していくロハスの言葉を使いたい物であればよいのにと思います。
ここから、直ぐの所にオークビレッジという、木を使って作る家具や生活用品を作っている集団があり、お洒落な空間を作っています。
100年育った木で作った物は、100年使い続けることが出来るというコンセプトのもとに、手作りの物達が、暖かい雰囲気を醸していました。
ビブラフォン同じ大きさだけれど、違う木の種類を並べたところが面白い楽器は、音階を奏でます。木に役割があり、使い道が決まっていることを教えてくれます。
遊具の木馬制作風景
作業しているのは、若い人達でした。良い風景です。
