雛罌粟(ひなげし)があちこちの道ばたや、草むらに咲いています。
鄙が可愛い 罌粟は、罌という口のすぼまった瓶の形、その中に粟粒のような小さな種が詰まっているところから付けられた名前だそうです。
この花の別名は、虞美人草
英語ではポピー
フランス語ではコクリコ
スペイン語ではアマポーラ
そのいずれの名前も、聞いたことがあるのですが、罌粟の花だとは知りませんでした。
「雛罌粟の歌」は、アグネス・チャンが歌って流行しました。
フランス語のコクリコ
ああ皐月 仏蘭西の野は火の色す
君も雛罌粟(コクリコ)われも雛罌粟
与謝野晶子 『歌集・夏より秋へ』より
赤い雛罌粟を詠った与謝野晶子の情熱が伝わってきます。
スペイン語のアマポーラ、私の好きなメロディーのラブソングです。
http://www.geocities.jp/h_ikem/amapola.htm
虞美人草は中国の歴史上、絶世の美女の悲劇の物語から
項羽(こうう)と劉邦(りゅうほう)の
最期の戦いのとき、項羽は愛する虞妃(ぐき)と
ともに劉邦の大軍にまわりを包囲された。
項羽は別れの宴を開いてから最後の出撃をし、
虞妃も自刃して殉じたが、
彼女のあとにヒナゲシの美しい花が咲いた。
そのため人々はこの花を
「虞美人草(ぐびじんそう)」と呼んだ。
漢詩は (楚漢春秋』史記より垓下の部分)
項王軍壁垓下。
兵少食尽。
漢軍及諸侯兵囲之数重。
夜聞漢軍四面皆楚歌
項王乃大驚曰
「漢皆已得楚乎。
是何楚人之多也。」
項王則夜起飲帳中。
有美人、名虞。
常幸従。
駿馬、名騅。
常騎之。
於是項王乃悲歌嘆慨、
自為詩曰、
力抜山兮気蓋世
時不利兮騅不逝
騅不逝兮可奈何
虞兮虞兮奈若何
歌数回、美人和之。
項王泣数行下。
左右皆泣、莫能仰視。
日本語訳
項王の軍は垓下に籠城していた。
兵は少なく、食料は底を尽いていた。
漢軍及び諸侯の兵は、項王の軍を幾重にか包囲していた。
夜、漢軍が、四面、皆楚の歌を歌っているのを聞き、
項王は驚愕して言った。
「漢は、すでに楚の全土を制圧したのだろうか。
なんと楚人の多いことか。」
そこで、項王は夜起きて幕営の中で酒を飲んだ。
虞という名の美人がいた。
いつも項王に寵愛され、付き従っていた。
また、騅という名の駿馬がいた
項王はいつもこの馬に騎乗していた。
ここに至り、項王は悲しげに歌って嘆き憤り、
自らこのような詩を作った。
力は山を抜き 気は世を覆った
時に利無く 騅は進もうとしない
騅が進もうとしないのを どうすればよいのか いやどうしようもない
虞よ虞よお前をどうすればよいのか いやどうしようもない
数回歌い、美人もこの詩に応じた。
項王は幾筋かの涙を流した。
側近たちも皆泣き、仰ぎ見ることのできるものはいなかった。
(参考文献:改訂版古典I漢文編 第一学習社)
罌粟の花の優しい風情が連想させる可憐さが多くの物語や歌を生み出してきましたが、そんな花の種が種類によっては、麻薬の原料になるということとの間に、私の中ではとんでもなく大きな開きがあります。
与謝野晶子(堺出身)のコクリコの詩とどちらが先かは知りませんが、大阪の堺に小島屋という和菓子屋があり、そこの名物が「ケシ餅」です。表面にビッシリと、けしの実がまぶされていて、その香ばしさと歯触りが嬉しいお菓子です。
PS: パソコンが機嫌を悪くしてしまって、中々修復できませんでした。その間、友人や、専門家の方々に大変お世話になりました。使うことは出来ても、その機能を全く理解していませんので、修復のためにお手伝いしてくださった方々は、大変だったと思います。完全に機嫌を直してくれるまであと少しだと思いますが、取り敢えず、皆様有り難う御座います。

