テレビのコマーシャルに、京都、円山公園のしだれ桜を見上げている職人さんが画面に背を向けて立っているのをご覧になった方も居られると思います。この方が、京都で16代続いた、仁和寺出入りの植木屋の現当主、佐野藤右衛門さんです。
桜守りと呼ばれて、円山公園の大きなしだれ桜を甦らせた方として有名です。その方の講演を聞くことが出来ました。
祖父、父から桜を引き継いでやっている。その家業を通してみたこと、感じたことを話してくださいました。其れは、育て、守ることを実際にしてこられた方の話でしたから、聞く者の心を揺り動かす説得力があります。
今の社会が循環しない社会であること。自然の中で、感じ工夫し、手加減してきた生活。例えば、ごはんひとつ炊くことでも、今は、電気釜を使います。これは、機械がすることです。昔の竈(かまど)で炊くと言うことは、毎日の湿度、温度など様々な条件の下で、知恵と工夫と経験が無ければ、おいしく炊けなかった。そんな生活が無くなったことで、自然界の営みの崩れていることが分からなくなってきていると言われると、肯(うなず)かずにはおれません。簡単な話ですが、全く本当のことです。私達、特に、都会で生活している者には、自然が遠くかすんでしまっています。
私は、この時、料理の元の意味を思い出していました。
「料理」は 料が、物の特質を変えることなく使う。理は玉を磨き上げる。二つの意味が合わさって出来た言葉に、まことに知的な作業であることだと知ることが出来ます。
私の一番好きな佐野藤右衛門さんの話は「桜」の話です。
私は、派手なソメイヨシノより、一般に山桜や彼岸桜と呼ばれている桜が好きなのですが、それらは、全て、種から大きくなるので、命が長く、山桜は500年、彼岸桜は1000年の寿命を持っている。そしてその桜は、地形に合うように、例えば、富士桜は、富士山の見えるところにだけ、まるで富士を持ち上げるように咲き。白山の桜は京都の桜に比べて荒いと。花を見に行けば、「よう咲いてくれた。有り難う」と声をかけていると、桜は「来てくれたのか?」と大きく育って、咲いてくれるとか。何と素晴らしい「桜守」のお話しでした。
本を買って以来、一度、実際にお話を聞きたいと思っていました。その願いが叶いました。
- 佐野 藤右衛門
- 桜のいのち庭のこころ

