私のお向かいにお住まいだったお婆様は85歳でした。お婆様と呼べないくらい若々しく、お考えもしっかりしておられ、理想の年の取り方をしておられました。
若いときに中国ででお住まいだった頃の話の中に、「私達は、日本人という誇りを持って暮らしました」
「今の若い人達には、誇りという物がないのでしょうか?悲しいですね。今の日本の姿は」
と言われた言葉が深く印象に残っています。其れは、自分たちが、戦前の中国においては力を持っていたからではなく、どこに住んでも、守るべき人間としてのルールを守って住んでいたと言うことであると思いました。
お年をおとりになってもその相貌には、少しも卑しさが見ず、とても美しくお年をとっておられました。仰るとおりに生きてこられた証拠とお見受けできました。、「私達は、日本人という誇りを持って暮らしました」、心の引き出しに貯めておきたい言葉です。
今一人、とても想い出にのこる方がいます。
その方には、かれこれ20年くらい前に、ハワイで偶然お目にかかりました。日系退役中佐だったと思います。お名前を覚えていません。お話しの中に、第二次大戦中、軍人であると言うことは、祖国である日本と戦わねばならないとこととの葛藤であったこと。アメリカと日本の狭間に立たれ悩まれたことは、今、平和をむさぼっている私には、そのまま理解することはとても出来ないと思いました。最終的に自分を納得させたのは、日本人としての誇りであったと言われました。
今、私に「私にとって誇りは?」と聞かれたら、思い浮かぶのは、豊かな水と緑の田舎の風景。今のように、豊かではなかったけれど。思いやりを込めて親切にし、付き合ってくれた家族や友人達。嘘をついたりいたずらが過ぎたときに思いっきり叱ってくれた家族ばかりではなく、近所の人達。学校の中で分からない生徒達を集めて、特別授業をしてくれた先生。そんなはぐくみを気長にしてくれた風土で有ると言えます。
海外に出ると、みんな愛国的になると言いますが、ご多分に漏れず、私も海外旅行する度に、自分が愛国者だと自己発見します。そんな時に、「誇り高い日本人」でありたいという言葉が、自身に出てまいります。是は、保守的と言われようと何と言われようと、私の事実です。
そんな気持ちで、最近手にとって読んだ本です。
C・W. ニコル著, 松田 銑, 千葉 隆章, 鈴木 扶佐子 訳
- 黒姫高原に私財で森の再生をしておられるニコルさんの、自ら国籍として選んだ日本と日本人に対する苦言や願いを熱く熱く語っていて、肯かせられました。
蛇足だけれど、翻訳者の松田銑さんは、私の友人がとても尊敬している翻訳者で、此所でお名前を拝見して懐かしいでした。
- 藤原 正彦
- 祖国とは国語
